四拾八願寺 京羽二重大全 天明4年(1784)
京羽二重大全 現在
聖德寺 綾小路大宮西へ入 聖徳寺
休務寺 錦小路大宮西へ入 休務寺
淨德院 西ノ京辻子 浄篤院/矢負如来
東光寺 右近馬場通西 東光寺/戦場勝手如来
西方寺 北野信西寺 西方尼寺/腰掛阿弥陀如来
大超寺 一条通千本角 大超寺
※ 昭和58年(1983)、現在地へ移転
淨福寺 同 千本東ヘ入 浄福寺
石像寺 千本通一条上ル 石像寺
無量寺 石像寺一町上西裏寺 無量寺
称念寺 西陣まくら町 称念寺
十一 超勝院 あくゐ二階町 超勝院
十二 報恩寺 上立賣小川西上ル 報恩寺
十三 寶持院 木ノ下道正ノ東 宝慈院
十四 西園寺 寺町通くらま口 西園寺
十五 光明寺 寺町今出川上五丁メ 光明寺
十六 阿弥陀寺 右ノ下ノ町 阿弥陀寺
十七 佛陀寺 阿弥陀寺下ノ丁 仏陀寺
十八 真如堂 東山かくら岡 真正極楽寺(真如堂)/うなずきの阿弥陀
十九 淨花院 寺町今出川南 清浄華院
廿 教安寺 川東新地 教安寺
廿一 信行寺 信行寺
廿二 大恩寺 大恩寺
廿三 長德寺 今出川口田中 長徳寺
廿四 智恩寺 百万遍也田中 知恩寺
廿五 金戒光明寺 黒谷 金戒光明寺/鑿納めの如来
廿六 禪林寺 永觀堂也 禅林寺(永観堂)/見返り阿弥陀
廿七 金剛寺 三条白川橋東 金剛寺
廿八 大谷寺 東山智恩院也 知恩院
廿九 一心院 右同境内 一心院
三十 正法寺 霊山国阿 正法寺
卅一 西福寺 六波羅ノ角 西福寺
卅二 阿弥陀 物よし村 「清円寺」廃寺 /阿弥陀如来像[1]長仙院
※ 明治5年(1872)
卅三 本覚寺 五条下寺町 本覚寺
卅四 上德寺 本覚寺ノ向 上徳寺
卅五 蓮光寺 本覚寺ノ下 蓮光寺
卅六 長講堂 右ノ下也 長講堂
卅七 延壽寺 長講堂裏寺 延寿寺
卅八 金蓮寺 因幡薬師ノ内 因幡堂塔頭 金蓮寺[2]」廃寺
卅九 長白寺 同 柳之坊 因幡堂塔頭 長伯寺[3]」廃寺
四十 乘願寺 寺町通仏光寺下ル 乗願寺
四一 空也寺 右同町ノ角 空也寺
四二 聖光寺 寺町綾小路下ル丁 聖光寺
四三 淨教寺 同 綾小路上ル丁 浄教寺
四四 大雲院 同町 大雲院
※ 昭和48年(1973)、現在地へ移転
四五 了蓮寺 寺町錦小路上ル丁 了蓮寺
※ 明治34年(1901)、現在地へ移転
四六 安養寺 右同町ノ北 安養寺/逆蓮華の阿弥陀
四七 圓福寺 たこやくしノ内 円福寺
※ 明治16年(1883)、現在地へ移転[4]
四八 誓願寺 寺町三条下ル丁 誓願寺
[1]長仙院の本尊阿弥陀如来像は、安倍晴明の木像などとともに、明治5年(1872)に清円寺から譲り受けたものといわれています。
[2]都名所図会(巻之二)」の因幡堂平等寺の項に以下の記述があります。 「金蓮寺の阿弥陀仏は春日の作なり 京極誓願寺と同体なり」
[3]都名所図会(巻之二)」の因幡堂平等寺の項に以下の記述があります。 「長伯寺は裸形阿弥陀仏を安置す」
[4]元治元年(1864)の京都の大火災や土地没収による境内の大幅縮小がきっかけで、明治16年(1883)に三河国額田郡岩津村(現・愛知県岡崎市)の妙心寺と寺号を交換し、本尊を含むほとんどのものが移転されました。 現在、元・円福寺の場所には妙心寺があります。