神明二十壱ヶ所 | 京都名所案内図会 明治20年(1887) |
京都名所案内図会 | 現在 | ||
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一番 | 吉田神社 | ノ内 | 吉田神社斎場所 大元宮 東・西神明社 |
二番 | 下御霊社 | ノ内 | 下御霊神社末社 神明社 |
三番 | 長福寺 | ノ内寺町 | 「長福寺[1]」廃寺 ※ 明治維新 |
四番 | 塔ノ壇宮家 | ノ内 | 「神明社[2]」廃社 ※ 明治2年(1869) |
五番 | 上御霊 | ノ内 | 上御霊神社末社 神明神社 |
六番 | 柳原川勝辻子 | 「榊宮[3]」廃社 | |
七番 | 北野真盛町 | 北野天満宮末社 神明社?[4] | |
八番 | 櫻之宮 | 出水 | 桜宮神社[5] |
九番 | 高松 | 姉小路 | 高松神明神社 |
十番 | 佛光寺新町 | 菅大臣神社末社 「内外宮[6]」廃社
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十一番 | 京極四條辻 | 八坂神社四条御旅所 「太神宮[7]」廃社? | |
十二番 | 四條大和大路 | 八坂神社末社 大神宮社?[8]
※ 明治6年(1873)、仲源寺西角の「神明社」が八坂神社境内へ遷座 |
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十三番 | 三条粟田口東 | 粟田神社末社 大神宮
※ 明治時代、十禅師の辻(現・東山区中之町(三条通))の「神明社」が現在地へ遷座 |
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十四番 | 粟田神明山上 | 日向大神宮 | |
十五番 | 八坂神社 | ノ内 | 八坂神社末社 大神宮社?[8] |
十六番 | 霊山正法寺 | 正法寺内 「天照太神宮[9]」廃社 | |
十七番 | 若宮社 | ノ内 | 若宮八幡宮社(陶器神社)末社 「伊勢両宮[10]」廃社 |
十八番 | 稲荷神社 | ノ内 | 伏見稲荷大社末社 「伊勢両宮[11]」廃社 |
十九番 | 朝日神明 | 朝日神明宮 | |
二十番 | 冨小路五條北 | 剣神社末社 朝日神明宮[12]
※ 明治15年(1882)、下京区本神明町の「神明社」が現在地へ遷座 |
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廿一番 | 頼政神明 | 神明神社 |
[1] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「威王山長福寺 同街(=京極通)条違橋(すぢかひばし)の北にあり 宗旨四宗兼学」 | |
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[2] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「神明社 塔之段薮下町にあり 祭神伊勢両宮行事官の御鎮守なり 伊勢両宮御遷宮の時神器かずかず此家より調進す」 | |
[3] | 「山州名跡志(巻之二十二)」の中に以下の記述があります。 「榊宮 在二室町通柳原北人家間一 此所云二神明辻子一 鳥居 西向木柱 無レ官榊ノ老木アリ。」 | |
[4] | 他の古文書によって、上京区神明町から馬喰町(北野神社境内)へ遷座した「高橋神社」と推測されますが、所在地は若干ずれています。 以下の可能性が考えられます。 1)高橋神社が神明町から馬喰町へ遷座する間にいったん真盛町へ遷座した、2)現・馬喰町を真盛町と記した、3)別の神明社。 | |
[5] | 桜葉宮は明治5年(1872)に廃社となりましたが、桜宮神社として再建されました。 | |
[6] | 「都名所図会(巻之二)」では菅大臣社の鳥居の近くに「内外宮」が描かれていますが、現在の摂末社には見当たりません。 | |
[7] | 「都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。
「祇園御旅所は四条京極の辻にあり ・・・ 三坐社 天照大神、八幡宮、春日明神を祭る」
また「京都市の地名」P843の八坂神社御旅所の項には「四条通を挟んで北に太神宮・稲荷の両社があり、・・・」と記述されていますが、現存しません。 八坂神社末社の大神宮社に合祀された可能性を考えていますが、情報はありません。 | |
[8] | 「花洛名勝図会(東山之部一 )」の祇園社の項に以下の記述があります。 「神明宮 宇賀姫社の向にあり 伊勢大神宮を祭る 内外両社相ならふ 南向」 現在の八坂神社で天照大神を祭神としている社は大神宮社しかなく、元々あった「神明宮」に「神明社」が合祀されて、「大神宮社」が祀られたのではないかと考えています。 | |
[9] | 「都名所図会(巻之三)」の霊鷲山正法寺の項に以下の記述があります。 「天照太神宮(てんせうだいじんぐう)は本堂の東廊下の上にあり」 | |
[10] | 「都名所図会(巻之二)」では若宮八幡の本社の横に「いせ両宮」が描かれていますが、現在の摂末社には見当たりません。 | |
[11] | 「花洛名勝図会(東山之部八)」の稲荷神社の項に以下の記述があります。
「大師堂 上の殿の前の傍にあり 伊勢両宮 大師堂の前の傍にあり」
現在、稲荷山の山中にある七神蹟地は応仁の乱で焼ける前の社の跡で、その一つの間ノ峰(荷田社神蹟)は伊勢大神を祀っており、伊勢両宮のもとの社の跡と推測しています。 | |
[12] | 「京都坊目誌(下京第卅一學區之部)」の剣神社の項に以下の記述があります。
「境内攝社に神明宮あり。勸請年月詳ならず。明治十年九月十六日。下京十九區神明町にありし。朝日神明を町内の希望に依り。官許を得て本宮に合併す。」
同じく「京都坊目誌(下京第十九學區之部)」の本神明町の項に以下の記述があります。 「神明社の址は東側にあり。創立年月を詳ならず。傳へて左大臣源融遙拜の所とす。・・・。同(=明治)十五年社地四十一坪三合八勺を賣却し。今熊野町剣神社の境内に移す。」 |
更新日:2022/10/01