弁財天廿九ヶ所 京都名所案内図会 明治20年(1887)
京都名所案内図会 現在
一番 功德院 高辻通室町西 廃寺[1] 繁昌神社/京の弁財天
※ 明治の神仏分離
弐番 不動院 六角堂ノ内 頂法寺(六角堂)寺家 不動院[2]」廃寺
三番 東北院 東山 東北院
四番 盧山寺 寺町 廬山寺
五番 清荒神 ノ内 護浄院(清荒神)
六番 専念寺 ノ東 専念寺
※ 宝永5年(1708)の大火後、寺町荒神口から現在地へ移転
七番 天性寺 寺町 天性寺 弁天堂/天河大弁財天
八番 円福寺 永福寺[3]
九番 大雲院 ノ内 大雲院
※ 昭和48年(1973)、現在地へ移転
十番 金蓮寺 寺町 金蓮寺
※ 大正15年(1926)、現在地へ移転
十一番 八坂神祠 ノ内 八坂神社末社 厳島社[4]/市杵島比売命[5]
十二番 安養寺 円山 安養寺 円山弁天堂/吉水弁財天
十三番 長楽寺 円山 長楽寺
十四番 蓮華院 下河原 「蓮華光院(安井門跡)」廃寺
※ 明治9年(1876)、大覚寺と合併
十五番 霊山 正法寺 「辨財天社[6]」廃絶
十六番 同正法寺 正法寺 「弁天宮?[7]」廃絶?
十七番 經書堂 来迎院(経書堂)
十八番 大日堂 東山 真福寺(大日堂)
十九番 本覚寺 五條 本覚寺
二十番 稲荷神社 ノ内 伏見稲荷大社 「辨財天社[8]」廃絶
廿一番 東寺 ノ内 東寺 弁天堂
廿二番 大通寺 六孫王神社[9]/誕生水弁財天
廿三番 壬生寺 ノ内 壬生寺 弁天堂/辨財天[10]
廿四番 妙仙寺 三條大宮西 妙泉寺
廿五番 神泉苑 御池大宮西 神泉苑 弁天堂/増運弁財天
廿六番 ユウセイ寺 北野右近馬バ 宥清寺
※ 昭和8年(1933)、現在地へ移転
廿七番 コウセニ院[11] 北野右近馬場云々 「高善院[12]」廃寺?
廿八番 三宝寺 猪熊下立賣上 廃寺[13]
※ 明治17年(1884)、毘沙門堂と合併
廿九番 岩本坊 油小路出水南 ★調査中
[1]功徳院は繁昌神社の元・神宮寺で、明治の神仏分離令の際に功徳院が廃寺となりました。
[2]都名所図会(巻之一)」では六角堂頂法寺の本堂南西に「不動院」が描かれています。 「京都市の地名」P785の頂法寺の項に「多聞院・不動院・住心院・愛染院などの寺家があった。」と記されていますが、いずれも現存しません。
[3]永福寺(当時は円福寺に併合されていた)に薬師の泉と呼ばれる弁天さまの御神水があります。
[4]現在の八坂神社で市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)を祀る末社は、厳島社と美御前社(うつくしごぜんしゃ)の2つです。 「都名所図会(巻之三)」や「花洛名勝図会(東山之部一 )」を見ると、 本殿東側に美御前社が、本殿北側の現在の厳島社の位置に「弁天」が描かれているため、この弁天が現在の厳島社になったと考えています。
[5]市杵島比売命は、本地垂迹において弁財天と同一とされていました。
[6]花洛名勝図会(東山之部六)」の霊鷲山正法寺の項に以下の記述があります。 「辨財天社 惣門の内左の方山下にあり 社拝殿ともに南向」
[7]都名所図会(巻之三)」では霊鷲山正法寺の阿弥陀堂と太神宮の間に「弁天」が描かれています。 池は確認できませんが、位置的にこの「弁天」と推定しました。
[8]花洛名勝図会(東山之部八 )」の稲荷神社の項に以下の記述があります。 「辨財天社 本社の左傍の前にあり」
[9]六孫王神社は大通寺の元・鎮守で、明治45年(1912)に大通寺だけが南区西九条比永城町へ移転しました。
[10]辨財天は清水寺の延命院から移されたもので、弁天堂は明治27年(1894)に再建されました。
[11]「コウセン」の誤記と思われますが、原文を見たまま「コウセニ」としています。
[12]元禄9年(1696)の「京大絵図」を見ると、北野天満宮の東門前北側に「弁才てん」が描かれています。
また中井家絵図「洛中絵図」では、北野天満宮前の同じ位置に「高(興)善院」が描かれています。
[13]拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「稲荷荒神社 猪熊通出水の南にあり ・・・ 今天台宗の僧住して三宝寺と号し 山科毘沙門堂に属す」