愛染明王廿六ヶ所廻り | 都すゞめ案内者 正徳5年(1715) |
都すゞめ案内者 | 現在 | |
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一番 | せいぐわんし通東洞院西へ入六かくだう内 | 愛染院[1]
※ 平成9年(1997)、現在地へ移転 |
二〻 | 三条ほり川東へ入町ふくじゆゐん | ★調査中[2] |
三〻 | 松原通東洞院西ヘ入いなばやくしノ内 | 因幡堂 「観音堂/愛染明王[3]」廃絶 |
四〻 | 同内長得寺 | ★調査中 |
五〻 | 同内桂善寺 | ★調査中 |
六〻 | いなり山 | 伏見稲荷大社 「愛染堂[4]」廃絶 |
七〻 | 仏光寺通室町ノ角山王のやしろ | 日吉神社 |
八〻 | さめがゐ通高辻ノ角すみよしの社 | 住吉神社 |
九〻 | 中道寺大宮西ヘ入すみよしの社 | 住吉神社 |
十〻 | みぶじ内 | 壬生寺 「愛染堂[5]」廃絶 |
十一〻 | 東寺の内御くう所 | 東寺 宝物館/愛染明王 |
十二〻 | たいしだうのみなみ | 東寺 毘沙門堂/愛染明王 |
十三〻 | 清水ゐん[6]仲光院 | 「清水寺塔頭 仲光院[7]」廃寺
※ 明治23年(1890)、本寺に合併 |
十四〻 | 八さか七くわんをん内 | 「七観音院」廃寺?[8] |
十五〻 | ぎをん内本ぐはんゐん | 八坂神社 「本願院[9]」廃絶 |
十六〻 | 寺町通くはう神口きよしくわう神ノ内 | 護浄院(清荒神) |
十七〻 | 寺町通たけや町行當りかうだうの内 | 革堂 |
十八〻 | いのくま下立うり上ル三ぼうゐん[10] | 「三宝寺[11]」廃寺 ※ 明治17年(1884)、毘沙門堂と合併 |
十九〻 | 中立うり千本西ヘ入しんによあん | 愛染寺?[12] |
二十〻 | きたのてんじんの内 | 北野天満宮 「愛染堂 [13]」廃絶 /愛染明王像は西正寺へ[14] |
廿一〻 | 同べんざいてんだうの内 | 「弁財天堂[15]」廃絶?
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廿二〻 | 同七ほん松せいわゐん内 | 清和院 |
廿三〻 | ちゑくはう院町にしいわがみ寺 | 岩上神社
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廿四〻 | 千本れんだい寺内ぢざうゐん | 「上品蓮台寺子院 地蔵院[16]」廃寺 |
廿五〻 | しちく村明王ゐんあかし坊 | 「明王院[17]」廃寺? |
廿六〻 | 西がも神光院 | 神光院 |
[1] | もと六角堂頂法寺の塔頭で中京区六角通東洞院西入堂之前町にありましたが、1868年に頂法寺から分離し、1997年に現在地へ移転しました。 「都名所図会(巻之一)」では六角堂頂法寺の本堂東側に「愛染堂」が描かれています。 |
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[2] | 宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、三条通堀川東入(現・橋東詰町)の北側に「音トク寺(=音徳寺)」、南側に「徳レン寺」があります。 このいずれかが「ふくじゅゐん」と思われますが、今のところ決め手がありません。 |
[3] | 「都名所図会(巻之二)」の因幡堂平等寺の項に以下の記述があります。 「観音堂の本尊は慈覚大師の作 愛染明王弘法大師を堂内に安置す」 残念ながら現在の寺宝リストに愛染明王はなく、度重なる火災によって焼失したものと推測しています。 |
[4] | 「花洛名勝図会(東山之部八)」の稲荷神社の項に以下の記述があります。
「愛染堂 境内の北側にあり」
伏見稲荷大社には、東寺の末寺で愛染寺(伏見稲荷本願所)という神宮寺も存在しましたが、こちらの可能性は低いと考えています。 愛染寺は慶応4年(1868)に廃寺となりました。 |
[5] | 「都名所図会(巻之二)」では壬生寺の境内に「あいぜん堂」が描かれています。 |
[6] | 「寺」の誤記と思われますが、原文のまま「ゐん」としています。 |
[7] | 「拾遺都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。 「仲光院 大日堂の南にあり 本尊愛染明王 歓喜天を安置す」 |
[8] | 七観音院は2018年に法人番号が更新されていますが、門や堂宇がすべて取り壊され、現在は更地になっています。 |
[9] | 「都名所図会(巻之三)」では祇園社の本殿の南西に「本願」と「あいぜん」が描かれています。 |
[10] | 原文のまま「ゐん」としています。 |
[11] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「稲荷荒神社 猪熊通出水の南にあり ・・・ 今天台宗の僧住して三宝寺と号し 山科毘沙門堂に属す」 |
[12] | 所在地の一致と寺院名から「真如菴」=「愛染寺」と推定しました。 |
[13] | 「山州名跡志(巻之八)」の天神宮(=北野天満宮)の項に以下の記述があります。
「經所 在二神樂所北西向−。所二安置−、・・・愛染〔坐像二尺五寸許、同所安北座〕・・・共皆靈尊、而古朝日寺諸堂本尊也。」
また、「京都坊目誌(上京第五學區之部)」P166❐に以下の記述があります。 「愛染堂址 不詳。本尊愛染明王は法華堂に移すと。」 |
[14] | 北野天満宮にあった愛染明王像が、廃仏毀釈で近くの西正寺に移されたというWeb情報がありました。 |
[15] | 元禄9年(1696)の「京大絵図」を見ると、北野天満宮の東門前北側に「弁才てん」が描かれています。 |
[16] | 宝暦4年(1754)の「名所手引京圖鑑綱目」を見ると、「レンダイジ」の近くに千本通に面して「ジゾウイン」があります。 |
[17] | 明治3年(1870)の「寺院本末一覧」に、仁和寺の末寺である蓮乗寺の末寺として愛宕郡紫竹村の「明王院」が記されています。 |
更新日:2022/02/04