弁才天廿九ヶ所參 | 都すゞめ案内者 正徳5年(1715) |
都すゞめ案内者 | 現在 | ||
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一番 | くどくゐん | 高辻通むろ町西へ入丁 | 「功徳院[1]」廃寺 繁昌神社/京の弁財天
※ 明治の神仏分離 |
二番 | ふどうゐん | 六かくだう西となり | 「頂法寺(六角堂)寺家 不動院[2]」廃寺 |
三番 | とうぼくゐん | ひがし山かぐらをか | 東北院 |
四番 | ろさんじ | 寺町今出川の南 | 廬山寺 |
五番 | 清くわう神 | くわう神ぐち東へ入所 | 護浄院(清荒神) |
六番 | せんねん寺 | 東川原新地 | 専念寺 |
七番 | 天せうじ | 寺町通三でう上ル丁 | 天性寺 弁天堂/天河大弁財天 |
八番 | ゑんふく寺 | 寺町たこやくしの内 | 永福寺[3] |
九番 | 大うんゐん | 寺町通四でう下ル丁 | 大雲院
※ 昭和48年(1973)、現在地へ移転 |
十番 | 四条道塲 | 寺町通四条上ル丁 | 金蓮寺
※ 大正15年(1926)、現在地へ移転 |
十一番 | きをん小宮 | 本社のうしろ北ノ方 | 八坂神社末社 厳島社[4]/市杵島比売命[5] |
十二番 | あんやうじ | まる山よしみづいけの内 | 安養寺 円山弁天堂/吉水弁財天 |
十三番 | 長らくじ | ひがし山 | 長楽寺 |
十四番 | れんげゐん | ぎをん下がはら | 「蓮華光院(安井門跡)」廃寺 ※ 明治9年(1876)、大覚寺と合併 |
十五番 | 霊仙 口ノ寺 | りやうせん入口北かわ | 正法寺 「辨財天社[6]」廃絶 |
十六番 | 同おく | いけの内小みや | 正法寺 「弁天宮?[7]」廃絶? |
十七番 | きやうかく堂 | きよ水坂北かわ | 来迎院(経書堂) |
十八番 | 大日だう | 右同丁ノひがし | 真福寺(大日堂) |
十九番 | 本がくじ | 五でうはし一丁西 | 本覚寺 |
二十番 | いなりやしろ | いなり右手ノいり口 | 伏見稲荷大社 「辨財天社[8]」廃絶 |
廿一番 | とうじ | ついぢの内 | 東寺 弁天堂
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廿二番 | 大つう寺 | あま寺の内 | 六孫王神社[9]/誕生水弁財天 |
廿三番 | みぶ寺 | 門へ入左の方 | 壬生寺 弁天堂/辨財天[10]
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廿四番 | めうせんじ | 三てう大みや西へ入丁 | 妙泉寺 |
廿五番 | しんぜんゑん | おいけ通大みや西へ入丁 | 神泉苑 弁天堂/増運弁財天 |
廿六番 | ゆうせいじ | 北野うこんのばゝ上ル 長じや丁上ル西かわ |
宥清寺
※ 昭和8年(1933)、現在地へ移転 |
廿七番 | こうぜんゐん | 北野前きたかわ | 「高善院[11]」廃寺? |
廿八番 | 三ほうじ | いのくま下立うり上ル丁 | 「三宝寺[12]」廃寺 ※ 明治17年(1884)、毘沙門堂と合併 |
廿九番 | いわもと坊 | あふらの小路出水下ル丁 | ★調査中 |
[1] | 功徳院は繁昌神社の元・神宮寺で、明治の神仏分離令の際に功徳院が廃寺となりました。 |
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[2] | 「都名所図会(巻之一)」では六角堂頂法寺の本堂南西に「不動院」が描かれています。 「京都市の地名」P785の頂法寺の項に「多聞院・不動院・住心院・愛染院などの寺家があった。」と記されていますが、いずれも現存しません。 |
[3] | 永福寺(当時は円福寺に併合されていた)に薬師の泉と呼ばれる弁天さまの御神水があります。 |
[4] | 現在の八坂神社で市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)を祀る末社は、厳島社と美御前社(うつくしごぜんしゃ)の2つです。 「都名所図会(巻之三)」や「花洛名勝図会(東山之部一 )」を見ると、 本殿東側に美御前社が、本殿北側の現在の厳島社の位置に「弁天」が描かれているため、この弁天が現在の厳島社になったと考えています。 |
[5] | 市杵島比売命は、本地垂迹において弁財天と同一とされていました。 |
[6] | 「花洛名勝図会(東山之部六)」の霊鷲山正法寺の項に以下の記述があります。 「辨財天社 惣門の内左の方山下にあり 社拝殿ともに南向」 |
[7] | 「都名所図会(巻之三)」では霊鷲山正法寺の阿弥陀堂と太神宮の間に「弁天」が描かれています。 池は確認できませんが、位置的にこの「弁天」と推定しました。 |
[8] | 「花洛名勝図会(東山之部八 )」の稲荷神社の項に以下の記述があります。 「辨財天社 本社の左傍の前にあり」 |
[9] | 六孫王神社は大通寺の元・鎮守で、明治45年(1912)に大通寺だけが南区西九条比永城町へ移転しました。 |
[10] | 辨財天は清水寺の延命院から移されたもので、弁天堂は明治27年(1894)に再建されました。 |
[11] | 元禄9年(1696)の「京大絵図」を見ると、北野天満宮の東門前北側に「弁才てん」が描かれています。 また中井家絵図「洛中絵図」では、北野天満宮前の同じ位置に「高(興)善院」が描かれています。 |
[12] | 「拾遺都名所図会(巻之一)」の中に以下の記述があります。 「稲荷荒神社 猪熊通出水の南にあり ・・・ 今天台宗の僧住して三宝寺と号し 山科毘沙門堂に属す」 |
更新日:2015/09/06