祇園祭
山鉾巡行 後祭
はし べん けい やま
橋弁慶山
ご利益疫病除け
分 類舁山(かきやま)
所 在中京区蛸薬師通室町東入ル橋弁慶町
URLhttp://www.hashibenkei-yama.com
備 考

 謡曲「橋弁慶」を題材とし、弁慶と牛若丸が五条の大橋で戦う姿を表している。 弁慶はよろい姿に大長刀を斜にかまえ、牛若丸は橋の欄干らんかん擬宝珠ぎぼしの上に足駄で立ち、片足を曲げ右手に太刀を持っている。 橋は黒漆塗で特に牛若丸の人形は足駄金具一本でこれを支えている。 弁慶と牛若丸の人形には、永禄六年(一五六三)大仏師康運こううん作の銘があり、また牛若丸の足の鉄串には、「天文丁酉ひのととり(一五三七)右近信国うこんのぶくに」の銘がある。

 前懸まえかけは中国清朝の頃の雲龍波濤うんりゅうはとう文様もんよう綴錦つづれにしきであったが、昭和五十八年から新しく富岡鉄斎てっさい原画の椿石霊鳥図ちんせきれいちょうず綴錦が用いられている。 胴懸どうかけ加茂かも葵祭あおいまつり行列図ぎょうれつず綴錦は円山応挙まるやまおうきょ(一七三三〜一七九五)の下絵と伝えられている。 水引みずひき百子文様からこもんようの綴織、後懸うしろかけは雲龍文様の刺繍ししゅうである。 なお、この山は舁山かきやまで唯一くじ取らずであり、古来後祭あとまつりの先頭を行く慣しがあったが、明治維新後になり曳山ひきやまに先頭を譲る。

 また町内保有の「黒韋威くろかわおどし肩白胴丸かたしろどうまる」は室町時代中期の作で重要文化財に指定されている。

出所:『橋弁慶山』京都市駒札

更新日:2017/09/20