祇園祭
山鉾巡行 後祭
じょう みょう やま
浄妙山
ご利益勝守
分 類舁山(かきやま)
所 在中京区六角通烏丸西入ル骨屋町
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備 考

 平家物語「橋合戦」に由来する山である。 治承四年(一一八〇)の宇治川での源平合戦に、源氏方で三井寺みいでらの僧兵筒井浄妙つついじょうみょうが橋桁を渡り奮戦していたところ、一来法師いちらいほうしが頭上を飛び越え、「しゅうそうろう御免ごめんあれ」と先陣を取ってしまったという。 その瞬間の情景を二体の御神体(人形)を組み合わせることにより表現している。 黒漆塗の橋桁に刺さる数本の矢は激戦の様子を物語る。 この故事により「悪しゅう候山」とも呼ばれていた時期もある。

 水引みずひきは宇治川を表現する波濤はとう文様の彫刻、胴懸どうかけはビロード織の「琴棋書画きんきしょが図」のほか、昭和五十八・五十九年製作の長谷川等伯原画の「柳橋水車図」などがある。 前懸まえかけ後懸うしろかけには平成十八・十九年智積院ちしゃくいん所蔵の障壁画を原画として新調した長谷川等伯・久蔵きゅうぞう父子筆の「桜図」、「楓図」その他がある。 見送みおくりの「かがり織・雲龍文様」は当町の住人であった本山もとやま善右衛門ぜんえもんの作である。 なお、浄妙坊着用の「黒韋威くろかわおどし肩白胴丸かたしろどうまる」は室町時代の作で、重要文化財に指定されている。

出所:『浄妙山』京都市駒札

更新日:2017/09/20