天皇陵
第31代第32代第33代第34代第35代
用明 崇峻 推古 舒明 皇極
代 数第31代 (585年10月3日? - 587年5月21日?)
天皇名用明天皇ようめいてんのう
御陵名河内磯長原陵こうちのしながのはらのみささぎ
所在地大阪府南河内郡太子町春日
印 字用明天皇 河内磯 長原陵

代 数第32代 (587年9月9日? - 592年12月12日?)
天皇名崇峻天皇すしゅんてんのう
御陵名倉梯岡陵くらはしのおかのみささぎ
所在地奈良県桜井市倉橋
印 字崇峻 天皇倉梯 岡上陵[1]
[1]宮内庁HP他の正式名は「倉梯岡陵」ですが、御陵印や御陵前の石標は「倉梯岡上陵」になっています。 現在の崇峻天皇陵を治定する前、現在地から500mほど離れた岡の上にある雀塚を陵墓としていた頃は「倉梯岡上陵」だったようです。

代 数第33代 (593年1月15日 - 628年4月15日)
天皇名推古天皇すいこてんのう
御陵名磯長山田陵しながのやまだのみささぎ
所在地大阪府南河内郡太子町山田
印 字推古天皇 磯長山田陵

代 数第34代 (629年2月2日 - 641年11月17日)
天皇名舒明天皇じょめいてんのう
御陵名押坂内陵おさかのうちのみささぎ
所在地奈良県桜井市忍阪
印 字舒明天皇 押坂内陵

代 数第35代 (642年2月19日 - 645年7月12日)
天皇名皇極天皇こうぎょくてんのう (第37代 齊明天皇)
御陵名越智崗上陵おちのおかのえのみささぎ
所在地奈良県高市郡高取町車木
印 字齊明天皇 孝德天皇 皇后越智 崗上陵

更新日:2018/01/06