都名所図会 吉祥院天満宮

 「都名所図会(巻之四)」に吉祥院天満宮のことが書かれています。

図絵

 図絵には、「吉祥天」「黒耳・あきは(秋葉)・今ひら(琴比良)」「白太夫」「さはう(蔵王)・老まつ・紅梅」「六社」「いなり」「石原井(現・鑑の井)」「人丸・弁天」の文字とそれぞれの建物が描かれています。 都名所図会が出版された江戸時代は、吉祥院天満宮にとって経済的に困窮し規模も縮小した時代ですが、この図絵を見る限りそれなりの規模は保っていたようです。

 本殿とその周囲にある稲荷、吉祥天、弁天などが現在と同じ位置関係に描かれており、これらの建物は江戸時代から現在と同じ場所にあったことが分かります。 逆に、弁天と石原井の右脇に池(または小川)が描かれていますが、現在はこのような池(または小川)は存在しません。


国際日本文化研究センター所蔵 『都名所図会(部分)』

解説

 解説には、吉祥院天満宮の概要と吉祥院の由来、そして石原井(鑑の井)のことが記されています。 以下にその全文を示します。

吉祥院天滿宮きちしやうゐんてんまくう唐橋からはしの南にあり 本社ほんしや菅神かんじんを祭る 吉祥院きつしやうゐんには吉祥天女てんによを安置す 傳教でんけう大師の作なり 此所は菅家かんげの御領地りやうちにして別荘へつさうあり 菅家かんけ清公きよとも延暦ゑんりやく二十三年遣唐使けんとうしとして異朝ゐてうをもむく時に船中せんちうにして風波ふうはなんふ 此をりしも傳教でんけう大師求法ぐほうため入唐にうたうし則同舩どうせんして吉祥天女きつしやうてんによの法をしふたちまち順風しゆんふうふい帰朝きてうせり 故に傳教でんきやう大師吉祥天女きつしやうてんによざうつく清公きよとも卿は此地に堂舎だうしやたてて此尊像を安置あんち吉祥院きちじやうゐんと号す
石原井いしはらのゐ 鳥居とりゐかたはらにあり 菅神かんしん此水に神影じんゑいをうつし給ふとなん 近年きんねん書家しよか烏石葛辰うせきかつしんめいをきさむ

更新日:2016/02/27