吉祥院天満宮詳細録 第五章 p147 - 152
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別れを惜まれる中に何処よりか唐臼を搗く音を耳にせられ打驚き直ちに吉祥院を拝し、天神川に浴[1]ひて鳥羽街道に出で南下し草津(今の下鳥羽)より乗舟し給う、 生涯は定まれる所無く運命は昊天にありと云いながらも御心の中如何ばかり悲しくおほし召けむ行々跡を返り見て一首の歌を詠みて北の方お政所即ち吉祥女に贈り給う。

君が住む宿の梢を行々も
かか[2]くるる迄でもかえり見しはや

此時より当吉祥院の森を見返の杜と称するに至る 又此御歌にても吉祥女が此の吉祥院の森の辺に御住み給いしことも明にするに足る。

(一)北野誌天神の古事巻物 干中
『吉祥院清公遣唐使のとき伝慶同船にて浪あれしとき清公のため伝慶祈り申天女あらわれ舟をすくう。 帰朝の後此両人作天女其とき建立の地なり、菅神もすみ玉こと、左遷のときも此処より首途す』
(二)国花万葉記 干中
『吉祥院宮 東寺の方吉祥院村平林の中に有云々菅公左迀[3]の日も此所より首途し給いて桂川の舟にうつり給うと也。 別離の時よませ給う御歌

君が住宿のこずえをゆくゆくも
かくるる迄にかえり見しはや』

(三)雍州府志 干中
[4]吉祥院 左遷月亦自茲処首途』
『吉祥院 筑紫貶謫日亦自斯院首途於草津乗船云々』
『又菅神亦吉祥院此処(草津)乗船晴故里の杜の木末遠行々茂加具留々麻氐爾眺杜也礼之詠歌依之此処称見返杜』
(四)津きねふ七 干中 貞享初年北村季吟著
『吉祥院 唐橋の南東寺の未申に森見ゆる其内なり 菅丞相の御影吉祥天女を安置す丞相の北の方ここにおわす其故に吉祥女と申す北野の本殿三座の一也 吉祥天女に混すべからず諸々伝に功徳天を吉祥天といえり所視所至方能令下一衆生、受諸快楽
(五)扶桑京華志 干中 [5]文五年十月著
『古河 在下鳥羽西菅神貶在之日視吉祥院之旧宅有森木末之詠有見返森』
『琴弾橋 在洛西久世卿[6]相伝菅道真貶在之時渡此哀家卿』中山氏の注に「菅公久世の方へ御越になりしことなし之れも誤なり」とあり
(六)京羽二重織留巻四 干中
『下鳥羽の西古川あり いにしえ西国左遷の人多くは此川より船に乗て狐川に出侍ると、 菅神も遠流のとき吉祥院より此所に来り船に駕し給い時に古さとの森の木末をゆくゆくもかくるるまでに詠こそやれの詠歌あり依之此所の森を見返の森と云』 注に曰く古川にあらず草津の誤なり
(七)各[7]所都鳥 干中 元禄三年二月著
古川 紀伊郡 下鳥羽の西にあり いにしえ西国へ[8]サスライの人おおくは此川より舟に乗。 狐川に出づ菅丞相も又吉祥院より此処にきたり舟に乗給ふ時。 「我やどの(古さとの)杜の木末を行々もかくるるまでは詠社やれ」との詠歌此所なり よつて見返しの森と云有』 注古川と草津との誤なり
『見返の森 紀伊郡 西の岡古川のほとりにあり 菅丞相さすらいのときの詠歌ありし所なり くわしく古川の所に出せり
(八)近畿歴覧記 干中
『此の七難田の宅に簾中田口氏を移さる、左遷筑紫の前夜名残りおしみに此の所に一宿あり自像を写し玉う世、[9]に伝る一夜白髪の像是也、 翌朝出玉い上鳥羽の東、古川の渡と云える所より船に乗り玉う此の所は古より西国へ流さるる人の舟に乗れる所とみえて平家物語にも見たり 天神此の所にて君が栖む宿の木末をゆくゆくもかくるるまてにかえりみしかなと詠し玉う 其の所を見かえりの森と云う
(九)雍州府志一 山川門 干中
『古川 在下鳥羽西古赴西国人自斯所船出難波神亦左遷日自茲乗船顧吉祥院杜云草津亦斯辺也』 注草津より乗船する者も必ず古川に立寄り一時休み又船に乗りかえらるることもあればなり。
『見返杜 在西岡古川辺菅神貶謫時出吉祥院斯処故園樹梢而所歌也』

菅公当地より左遷の途につき給いしが御夫人北の政所は涙ながらに成人せる御子達の住み給いし紅梅殿の御整理をなし給い吉祥院にてさびしく悲しき年月を送り給いしなり。

(一)吉祥院天満宮旧跡 干中
○北の政所御屋敷跡 現今本社より南一町余の所に政所町とて十数軒の民家散在す是れ即ち御屋敷跡なり。 北の政所は田口達音の御女宣来子にて当吉祥院に生れ給い当地にて世を去り給いければ吉祥女と申し上ぐるもうべなり。
(二)同前 干中
○御政所の御墓所 右政所町の西端田園中に小塚ありお政所の御墓と云いて存し現今塚上に大日如来を安置して礼拝供養も行いつつあり。
(三)山城四季物語 干中
『九月四日北野天神祭の事
御宝殿三座の神なり、中ハ天満天神(菅相丞[10])東ハ中将殿(菅三品嫡子)西ハ吉祥女、是菅丞相の北の御方なり京童の吉祥天女と心得たるはあやまりなり、 都の西南吉祥院に住給いし故の御名也』
[1]「浴」に似た少し違う字ですが、そもそも「沿」の誤記のように思われます。
[2]「か」が一文字余分ですが、原文通り表記します。「隠るるまでも」
[3]「迁(遷)」の誤記と思われますが、原文を見たまま「迀」と表記します。
[4]「『」の表記漏れと思われますが、原文通り表記します。
[5]「寬(寛)」の誤記ですが、原文通り「寶(宝)」と表記します。
[6]「郷」の誤記と思われますが、原文通り表記します。
[7]「名」の誤記ですが、原文通り表記します。
[8]「左」の誤記と思われますが、原文通り表記します。
[9]「玉ふ、世」の誤記と思われますが、原文通り表記します。
[10]「亟相(丞相)」の誤記と思われますが、原文通り表記します。

更新日:2021/01/17