吉祥院天満宮詳細録 第九章 p253 - 257
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(二五)第百十三代東山天皇宝永年中より第百二十一代孝明天皇慶応年間まで凡百七十年間当社境内に制札を立て置かれ京都諸司代交代の都度書き改めらるる例ありて此の制札現今四十一札あり左に記るす。
一例を示せば

(外包紙) 制札 吉祥院 天満宮境内
(中の文)
一、伐採竹木刈取下草事
一、諸殺生事 放飼牛馬事
一、参詣之輩狼藉事
右条々任先例堅被停止之就若於有違犯之族者速可被処厳科者也
正徳五年七月三日   和泉守源朝臣花押

右の通りを厚き大なる木板に書写して境内に建てしものなり。 下知の年月日左の如し。

付記 古記録干中宝永年中よりとあれば回[1]年号のもの有るべきに見当らず一番最初の制札なれば貴重品なり。

1、正徳五年七月三日和泉守源朝臣花押
2、享保三年十一月朔日伊賀守源朝臣花押
3、享保十九年十一月十一日丹後守源朝臣花押
4、寛保三年四月一日備後守源朝臣花押
5、寛延三年三月十五日豊後守藤原朝臣花押
6、宝暦二年八月廿五日讃岐守源朝臣花押
7、宝暦六年十月廿五日左京大夫源朝臣花押
8、同九年八月十六日河内守源朝臣花押
9、同十一年九月廿八日伊予守藤原朝臣花押
10、明和二年二月五日飛騨守阿部臣朝[2]花押
11、同七年六月廿九日大炊頭源朝臣花押
12、安永七年二月三日出雲守源朝臣花押
13、天明二年二月廿三日越中守源朝臣花押
14、同五年二月七日因幡守藤原朝臣花押
15、同八年九月廿三日和泉守源朝臣花押
16、寛政元年閏六月備中守源朝臣花押
17、同九年四月大蔵大輔紀伊朝臣花押
18、同十一年五月備前守源朝臣花押
19、享和二年二年[3]大炊守[4]藤原朝臣花押
20、同三年五月下野守藤原朝臣花押
21、文化元年八月丹後守越智宿禰花押
22、同四年五月播磨守阿部朝臣花押
23、同十三年三月加賀守藤原朝臣花押
24、文政二年二月和泉守源朝臣花押
25、同六年三月紀伊守藤原朝臣花押
26、同八年十二月周防守源朝臣花押
27、文政十年七月越前守源朝臣花押
28、同十二年五月伯耆守藤原朝臣花押
29、天保二年十一月備後守源朝臣花押
30、同五年十月伊豆守源朝臣花押
31、同八年十月大炊頭源朝臣花押
32、同九年九月下総守藤原朝臣花押
38[5]同十二年二月備前守源朝臣花押
34、同十五年四月若狭守源朝臣花押
35、嘉永四年三月紀伊守藤原朝臣花押
36、同五年五月淡路守藤原朝臣花押
37、安政五年四月美濃守藤原朝臣花押
38、同六年三月若狭守源朝臣花押
39、文久三年二月備前守源朝臣花押
40、同三年十二月長門守越智宿禰花押
41、慶応元年閏五月越中守源朝臣花押
(二六)真言宗総本寺勧堂院より鳥居額面一個奉納。
(二七)鳥石[6]山人より書聖王公の額面一個を奉納。
(二八)叡山竜城沙門尭海より如来神力品(十巻の一)を奉納。
(二九)頼道殿参詣せられし文に「天保辛巳[7]二月のころになん、聖廟へ詣でしが社頭に、さくら花の余多在て今ひと日二日をすこせばさかりにもならんとおもいにければ良く打見やりてむげにながむるもいと念なふ思いて愚詠十首を連ねて石原雅君がもとへ申送り侍る。
頼道
1、花ゆえに 神にもさそな みしめ縄 かかる桜を よ所にやは見ん。
2、さくもあり さかぬもいまだ 在明の 月にかすめる この森のはな。
3、雲となり 雪とまがいて きのうといい きょうこそ花の 盛なりけり。
4、この森の 老木のさくら 幾世へて ことしもはなに 若かえるはな。
5、咲はなに 交るまつを こきませて 錦をぬさと 神に手向けむ。
6、すが原や いわお苔むし 神さいて 夕へはつかに 花ぞにおえる。
7、紙屋川 流るる水に かけ見せて いよいよ見かく 花のすかたを。
8、こがねにも 中々かえし 山桜 朝日にうつる はなのけしきは。
9、咲つつく さくらか本に 席しめて さそなつもらん 君ことの葉。
10、さくら花 このはなのみか すえ長く 千世も八千代も なを栄えかし。
[1]「同」の誤記のように思われますが、原文通り表記します。
[2]「朝臣」の誤記と思われますが、原文通り表記します。
[3]「二月」の誤記と思われますが、原文通り表記します。
[4]「大炊頭」の誤記ですが、原文通り表記します。
[5]「33」の誤記ですが、原文通り表記します。
[6]「烏石」の誤記ですが、原文通り「鳥石」と表記します。
[7]天保年間に辛巳の年は存在しません。天保2年(1831)辛卯、天保4年(1833)癸巳、天保12年(1841)辛丑のいずれかと思われます。

更新日:2021/02/05