吉祥院天満宮詳細録 第十章 p367 - 371
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◎基本財産積立に関して

大正二年一月郡長の厳命により、同月十八日氏子総代世話方全部集合協議を初めとし同廿二日、廿四日、廿八日の四回会合の結果、本年より毎年百円宛一月廿五日、七月廿五日の二期に分ちて徴収し、八年間積立ることに決定し第五回迄で即二年半継続せしが大正四年八月廿二日集会の節毎年百円宛の積立は面倒なれば御供田を売却して之れに充てんとの議出で其後、村長村会、町役、氏子総代世話方、小作人、野里町役の方々数回協議の結果、同年九月八日を以て決定す。 而して御供田処分金及従来積立金及利子総計を吉祥院村信用組合に預金する事となる。
但し金壱千円を定期とし余は当座預金として払出しに便にす。
次に右利子金中より御供料支出の証書五通を調製して、役場、社掌、東、西、北条町各保管す。

○証書写
『吉祥院天満宮御供料ニ付証書
一、大正四年度より毎年吉祥院天満宮御供料として天満宮基本財産の収入より左の通支出す。
一、吉祥院村(北条町、西条町、東条町)へ各六円宛
一、同野里町へ 弐円
一、社掌へ   参円参拾参銭
右は従来吉祥院村大字吉祥院小字池の内二番地田壱反参畝弐歩(大字吉祥院持)の年貢米を北条 西条、東条町は各四斗五升、社掌は弐斗五升、野里町は壱斗五升を収受し之れを以て御供米の資料に供せし処今回右土地を処分し天満宮基本財産に寄付せしを以て前記の通り其利子金の内より御供料に当つるものなり。
右為後日此証書各壱通を保管す。
大正四年九月八日
吉祥院村長 深見徳次郎
社掌    石原定正
氏子総代  桧垣与三郎
同     石原藤松
同     神田定吉
右支出期 西条町、野里町(一月)、東条町(三月)、北条町(十月)』

◎南条町積立金の法

協議の結果、基本財産蓄積証書三通を調製し役場、社掌、南条町へ各一通を保管することとなる。

○証書写
『吉祥院天満宮基本財産蓄積ニ付証書
一、大正元年拾弐月より満拾ケ年間南条町より毎年金弐拾五円宛、天満宮基本財産に出金しつつ有之処今回大字吉祥院(北条、西条、東条)持より土地を処分し該基本財産に寄付せし故を以て大正四年より向う七ケ年六箇月間は毎年拾五円宛(前弐ケ年六ケ月は年弐拾五円なりき)蓄積するものとす。
右為後日此証書各壱通を保管す。
大正四年九月八日
天満宮社掌 石原定正
氏子総代  桧垣与三郎
同     石原藤松
同     神田定吉
南条町総代 山中卯之助
世話方   山田定吉
同     長岡浅吉
右積立期日と前例に依り毎年一月廿五日を七月廿五日とす。』

右の規定も南条町に種々の事情により出金滞納となる。 大正五年七月基本財産利子使用の件郡長より厳禁せられしを以て同月廿三日協議の結果、三ケ町とも六円は各町負担して祭事を執行することとし、毎年神饌料参円参拾参銭は西東北条の三ケ町に割当出金し、野里町へ弐円宛毎年出金分は右の事情にて全廃の承認を受くべく安田助之丞氏に尽力を依頼す又南条町基本財産積立も自然増加を来すことなれば大正四年より向う七ケ年六箇月間を向う拾箇年間と改定すべきことに異議無く可決す。 然る所大正四年後半期より種々の出金滞納となりしを以て種々協議の上一時出金五拾円にて財産蓄積の任を全くする事となりしは大正六年十一月九日なりき。

次に協議纏らざる野里町との件も今回南条町の出金を待って其の中金拾五円(凡七年分)を一度に渡して円満に解決せんことを乞ふこととなりしなり。

右基本財産及余金に関し後の憂を避けん為め印鑑預り者と通帳保管者とに区別し社掌と氏子総代の五人が抽籤法に依り半期交代にて保管することに定めしが大正四年九月八日集会協議の上一年交代とし桧垣与三郎氏は通帳、山中宇之助氏は印鑑保管者とす。

其後天満宮に関する支出増加と共に社掌の責任重くなりし故、世話方中より会計係を置かれんことを大正五年七月十五日の集会の節請いしが出席少なくして流会となり同月二十三日集会の節、石原長太郎、山口亀次郎の両氏に会計係を委任し今後の諸経費は会計係の承諾を得るにあらざれば無功[1]との事となり社掌の責任を軽くするを得たり。 然るに大正六年七年度の収支予算並決算報告書調製に当り社入少なく支出と相償わざることも判明し表面作り予算及決算を承認し会計係は名義のみにて何の用もなさず責任苦あるのみにて全く不必要なれば之れを廃し今後の収支に関することは社掌に一任なることを特に依頼ありしを以て亦もや重任を帯ぶるに至れり。 時に大正八年八月二十一日の集会協議の結果なり。

[1]「効」の誤記のように思われますが、原文通り表記します。

更新日:2021/02/13