吉祥院天満宮詳細録 第十一章 p427 - 433
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(五)宝暦九年吉祥院天満宮末社に付て

○吉祥院天満宮古記録 干中
『一天満宮社
 右末社
大原大明神社 及大破タヽミ置候
稲荷大明神社
十二所権現社
蔵王権現社
老松社
紅梅社 但シ相殿
白太夫社
十六万八千神社 及大破タヽミ置候
人丸大明神社 但シ相殿
弁財天社
黒耳天社
金毘羅大権現社 但シ相殿
秋葉山大権現社
 以上
右今度大小神社書記指上候様被為仰候に付書付奉指上候 以上
城州紀伊郡吉祥院社
 宝暦九年卯九月廿七日 神主 石原市正印
御奉行様

(六)山城各[1]跡巡行志 干中

『○久我畦畷路コガナハテ一名古道東寺吉祥院塔森久我下植野等山崎三里也。
○西所名中河原二村在吉祥院西北西国街道西桂河東 野中村名新田同所
○吉祥院村名四塚南西鳥羽街道西旧名上石原属邑二又有新田
○吉祥院 在当村鳥居東向 本尊吉祥天女右脇壇伝教像左脇壇清公像
○天神社 在堂西南向
○老松、紅梅社 在本社東相殿
○十二所権現 在本社北
○十六万八千神社 在本社南八角
○弁財天社 在鳥居南池志水
○蔵王社 在鳥居内南向
○大原野社 在同南
当院菅家普代領地而菅相公別業也 初菅家祖清公卿入唐時与最澄同船明州湊而風発漂流船其時最澄吉祥天法平安 帰朝後清公与最澄心作天女像此地其後建聖廟
○放生池 鳥居東川是也
○六田 在鳥居寅卯方河東五十間伝云菅公愛虫音所也
○牛の宮 在同所竹林南今棟枯木由来不貞例祭九月十三日当村産砂
○石原村名吉祥院南氏神松尾
○佐比の里 其所不貞石原卿[2]歟西京西洞院名佐比小路石原中河原辺歟
○佐比寺 三代実録載下佐比里上佐比里 又有佐比寺佐比小路。 日本後紀載佐比川佐比津佐比橋
○島村 在石原南氏神松尾。』

(七)山州名跡志巻十一 干中

『○吉祥院所名在東寺四塚申酉方鳥羽街道西七八町
○吉祥院 在同所平林中 堂南向本尊吉祥天女立像三尺許 (注)本尊六尺
 仮本尊三尺 作伝教大師 (注)作菅原清公卿
○同東脇壇伝教大師像坐椅子一尺六七寸
○同西脇壇菅原清公像衣冠坐像長同上
○天満宮 在同堂西 鳥居東向木柱在林外東、宮南向所祭菅神 (注)宮東向
○老松、紅梅社 在本殿東南向二神祭一社
○十二所権現社 在本殿西傍東向
○十六万八千神社 在本殿南
○弁才天社 在鳥居南傍東向
○蔵王社 在鳥居内南向
○大原野社 在蔵王南 所祭大原野春日明神
○中[3]の宮 在同所竹林東アフチの枯木あり 伝不詳』

(八)雍州府志三 神社門下 干中

『北野宮 三座内東間中将殿而是菅神之嫡子也、中間菅丞相道真公而 西間吉祥女則菅丞相之室也、未何字女子 一説西園寺家之女也、住平安城西南吉祥院里故為 (注)西園寺家之女にあらず田口達音の女宣来子なり。
○宰相殿 菅神四世孫輔正之霊而摂社也。 輔正菅在躬之子而博聞強記蚤為進士円融院花山院二代之侍読寛弘六年冬十二月薨八十五歳而薨従祀斯処
○和泉殿 是亦摂社而従四位下菅原定義定義菅神六世孫太中太夫孝標之子而典籍為業令聞不乃祖筆入貢士籍寿終従祀干[4]
○三位殿 所菅在良也  在良定義之次子而善続家業鳥羽帝翰林学士 保安三年十月二十三日薨八十歳従祀菅廟傍 後醍醐帝[5]徳二年追賜銀青光禄大夫黄門侍郎依号三位殿
○老松社 福部、老松両社共謂菅公眷属神何神
○紅梅殿 是号福部大明神或謂執奏神也未何神
[1]「名」の誤記ですが、原文通り表記します。
[2]「鄕(郷)」の誤記と思われますが、原文通り表記します。
[3]「牛」の誤記ですが、原文通り表記します。
[4]「于」(ハネあり)の誤記と思われますが、原文通り「干」(ハネなし)と表記します。
[5]「元」の誤記ですが、原文通り表記します。

更新日:2021/02/17