京の七口 |
京の七口(ななくち/しちくち)は、室町時代から江戸時代にかけて京都と諸国を結ぶために設けられた主要な街道の出入口のことで、「七口の関」と称される関(関所)が設けられ関銭が徴収されていました。
7という数字は五畿七道からきていると考えられていますが、七道には対応していません。 また七口は固定されたものではなく、時期によって関の数も異なっています。
天正19年(1591)、豊臣秀吉の御土居築造の際には、「粟田口(東)、東寺口(坤)、丹波口(西)、清蔵口(北)、鞍馬口(艮)、大原口(北)、荒神口(東)」の7つとされました。
江戸時代には、「山陽道(摂津道)東寺口、東海道(伊賀伊勢道)五条橋口、西海道(九州道)四条大宮口、南海道(紀州道)竹田口、東山道(近江道)三条橋口、北陸道(若狭道)大原口、山陰道(丹波道)清蔵口」の呼称がありました。
他に「鳥羽口、伏見口、丹波口、粟田口、八瀬口、若狭口、長坂口」、「東寺口、竹田口、五条橋口、大原口、三条橋口、千本口、七条口」などの組み合わせもあります。
京都市情報館❐では、長坂口、鞍馬口、大原口、粟田口、伏見口、鳥羽口、丹波口の7つがあげられています。
七口 | 読み方 | 別称 | 御土居の出入口、概要 |
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1長坂口 | ながさかぐち | 清蔵(せいぞう)口[1] 西蔵口 新町頭(しんまちがしら) |
北区鷹峯旧土居町 長坂越(鷹峯街道、「鯖街道」の一つ)の出入口。 |
2鞍馬口 | くらまぐち | 艮(うしとら)口 出雲路口 |
出雲路橋の西側 鞍馬街道の出入口で、北区鞍馬口町の地名が残っています。 |
3大原口 | おおはらぐち | 河原町今出川交差点の西側 若狭街道(鯖街道)の出入口で、上京区大原口町の地名が残っています。 |
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4荒神口 | こうじんぐち | 吉田口 今道口 志賀道口 |
河原町荒神口交差点の西側 山中越(志賀越、今道越、白川越)の出入口で、荒神口通に名前が残っています。護浄院(清荒神)が名前の由来です。 |
5粟田口 | あわたぐち | 三条口 三条橋口 大津口 |
河原町三条交差点の西側 東海道・中山道の出入口で、東山区北部と左京区南部に粟田口の地名が残っています。 |
6伏見口 | ふしみぐち | 木幡(こはた)口 五条口 |
五条大橋西詰あたり 伏見街道への出入口。 |
7竹田口 | たけだぐち | 東洞院通八条上ル 竹田街道の出入口。 |
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8鳥羽口 | とばぐち | 東寺口 | 九条通千本東入 鳥羽街道および西国街道の出入口。 |
9丹波口 | たんばぐち | 西七条口 | 千本通七条上ル 山陰街道の出入口で、JR丹波口駅に名前が残っています。 |
[1] | 清蔵口は新町通と鞍馬口通の交差点付近にあたり、長坂口から京都の中心部側へかなり寄った位置ですが、長坂越の起点だったようです。 北区上清蔵口町と上京区下清蔵口町の地名が残っています。 |
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更新日:2023/03/19