七野

 七野(しちの)は、京都市の北方に広がる7つの野の総称で、洛北七野とか京都七野ともいわれました。

 洛北といっても、現在思い浮かべる上賀茂から北の岩倉・貴船・八瀬・大原などの地域ではなく、平安時代は平安京の大内裏(現在の千本丸太町周辺)から見て北の船岡山周辺の地域を指していたようです。

 七野は平安京域外にあり、平安時代以降、天皇や貴族の遊猟地や別業地(別荘地)となっていましたが、同時に蓮台野は東山の鳥辺野(とりべの)や上嵯峨の化野(あだしの)と並ぶ葬送地でもありました。

 上京区社横町の櫟谷七野神社は、この七野の総社として祀ったものとも伝えられています。

 以下の一覧は『京都大事典』の説明をもとに作成したものですが、古文書によって書かれている七野の構成が異なり、確定したものはないようです。

七野 読み方 現在地、備考
1内野 うちの 上京区南西部、平安京大内裏の跡地
2北野 きたの 上京区北西部、北野天満宮付近
平安京大内裏の北側の野が地名の由来で、もとは一条以北を指す
3平野 ひらの 北区南西部、平野神社付近
4上野 うえの 北区南部、紫野上野町付近?
5紫野 むらさきの 北区南部、船岡山から北東の大徳寺周辺にかけて
6蓮台野 れんだいの 北区南部、船岡山から西の紙屋川にかけて
上品蓮台寺の寺号が地名の由来
7〆野[1] しめの 場所不詳、点野とも書く
[1]『京都大事典』では、〆野の代わりに萩野(はぎの)または御栗栖野(みくるすの)とする説も紹介しています。

 古文書に書かれている七野を一覧表にまとめましたが、すべてに共通なのは内野と蓮台野の2つだけでした。

櫟谷七野神社日次紀事
(1676)
雍州府志
(1686)
名所都鳥
(1690)
京羽二重
(1705)
都名所車
(1730)
都名所図会 (1780)花洛羽津根 (1863)京都坊目誌 (1915)
紫野紫野内野 北野内野内野 内野紫野内野
禁野うち
or 平野
北野 紫野北野北野 北野大埜北野
柏野小栗栖野萩野 〆野
=北野
紫野紫野 柏野蓮臺野柏野
北野萩野
(薇岡)
蓮臺野 平野上野萩野 蓮臺野しめ紫野
平野蓮臺野紫野 内野萩野 (みくるし野)上野 上野北野平野
蓮台野唐鋤野上野 上野平野平野 平野柏埜淺野
内野 or (神野・神明野・萩野・御栗栖野)上野平野 萩野 (みぐるし野)蓮臺野蓮臺野 内野蓮臺野
蓮臺野

● 櫟谷七野神社
他では見られない「禁野」が含まれています。
⇒ 櫟谷七野神社HP 神社の由来❐
社名の「七野」とは、もと船岡山麓一帯にあった原野で、
紫野・禁野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野(神野・神明野・萩野・御栗栖野)のこと。
上記( )内が内野の別称を意味するのか、内野の代替を意味するのか不明ですが、後者と判断しました。
● 日次紀事 [延宝4年(1676)]
他では見られない「唐鋤野」が含まれていて、常連の北野が含まれていません。
⇒ 愛媛大学図書館 鈴鹿文庫:日次紀事 十一月❐  十二日
[神事]洛西平野
西洞院家知之 凡之西北七野 所謂 紫野ウチ野小栗栖野萩野或蓮臺野唐鋤野上野是ナリ 或説平野釆野 今所船岡山之七野社ナリ春日明神
● 雍州府志 [貞享3年(1686)]
「七野社」の項に七野の説明があります。
⇒ 国文学研究資料館 電子資料館:雍州府志❐
七野社  在船岡山東南  文德天皇貞觀元年冬十一月二十七日因染殿所願而所勸-スル春日明神也 則内野北野萩野蓮臺野紫野上野平野等七野之惣社 <略>
● 名所都鳥 [元禄3年(1690)]
8つの野を示しつつ、〆野と北野をひとつとする説を紹介しています。
⇒ 人文学オープンデータ共同利用センター  日本古典籍データセット:名所都鳥❐
なゝ
みやこの北に七つの野あり。郡は北野平野等は。葛野かどの郡のうち也。舟岡の邊は愛宕郡のうちなり。
第一 北野 葛野郡  王城わうじやうの戌亥にあたる也。内野の北なり。<略>
第二 むらさき野 愛宕郡  大德寺のほとりをおしなへて紫野といふ。<略>
第三 しめ野 愛宕郡  歌には紫野とならびたるやうに見えたれども。北野の事かと有。<略>
第四 平野 葛野郡  北野より三町西なり。<略>
第五 うち野 愛宕郡  右近うこん馬塲はゝの北。高橋のかたへ行方也。<略>
第六 うへ野 愛宕郡  今宮の北ひがしの方也 <略>
第七 はぎ野 愛宕郡  上野のうしろなり。みぐるし野ともいふ <略>
第八 蓮臺れんだい野 愛宕郡  船岡山の南西の野なり。尼寺あり <略>
一説に〆野しめ のと北野と。ひとつの野の名にして。蓮臺野をくはへて七野とす。まづ野の名八あるにまかせて出すまて也。
● 京羽二重 [宝永2年(1705)]
雍州府志と同じ7つの野を示し、他に柏野、〆野、頭野の説明を加えています。
⇒ 京都府立総合資料館 京都地誌閲覧システム:京羽二重❐
内野 北野右近馬場の南北を云なり
北野 王城の戌亥あたりて天満宮の御社あり
むらさき野 大徳寺の左右也
上野うへの 今宮の北なり
萩野はぎの 上野の後なり 又はみくるし野とも云 萩の名所
 北野 西なり
蓮臺れんだひ野 船岡の南のかた西につらなる野也 此内に蓮臺寺あり
  右七野也
かしは野 千本釈迦堂の後也
しめ野 紫野同所か又謌には紫野のならびのやうに見へたれともいかゝ北野の事か
頭野かしらの 柏野の戌亥の方を云今は畠なり 千本のえんま堂のえんまの頭は此野より掘出す也
● 都名所車 [享保15年(1730)]
「七の社」の項に七野の説明が書かれていて、構成は雍州府志や京羽二重と同一です。
⇒ 早稲田大学 古典籍総合データベース:都名所車
七野は内野北野紫野萩野上野平野蓮臺野
● 都名所図会 [安永9年(1780)]
「七の社」の説明に七野が登場しますが、具体的な地名は6つしか書かれておらず、常連の紫野が抜けています。
⇒ 国際日本文化研究センター 都名所図会データベース
なゝやしろ舟岡ふなおかの南にあり <略> 又一せつらくきたに七あり 内野うちの 北野きたの 柏野かしはの 蓮臺野れんたいの 上野うへの 平野ひらの とうなかまつれるかみなれば しかいふとそ
● 花洛羽津根 [文久3年(1863)]
他では見られない「大埜」が含まれています。
⇒ 早稲田大学 古典籍総合データベース:花洛羽津根
むらさき野 洛北の野の惣名也 <略>
大埜おほの 同大德寺の地是也 <略>
蓮臺れんたい野 船岡山の西なる野也 則蓮臺寺あり
しめ埜 千本焔广堂の東北に有 <略>
北野 千本の西一条の北 <略> 平野は北野の西にあり <略>
かしは埜 北野の北にあり 又五辻に柏野町あり
うち野 西の京の東に有 北は聚楽城に至る <略>
以上是を七野と云
● 京都坊目誌 [大正4年(1915)]
「櫟谷七野神社」の項に七野の説明があり、他にない「淺野」が含まれています。
⇒ 国立国会図書館 デジタルコレクション:京都坊目誌 上京之部
櫟谷イチイタニ七野神社 <略> 社地の近傍に内野。北野 柏野。紫野。平野。淺野。蓮臺野。あり依て社號とす。

更新日:2023/12/17