円光大師京都廿五処 円光大師京都廿五処巡拝記 明和5年(1768)
円光大師[1]京都廿五処巡拝記 現在
第一処 知恩院 知恩院
第二処 入信院 知恩院山内 入信院
第三処 西福寺 南禅寺惣門の内北側 西福寺
第四処 永観堂 永観堂
第五処 安楽寺 鹿谷村 安楽寺
第六処 法然院 法然院
第七処 金戒光明寺 金戒光明寺
第八処 知恩寺 知恩寺
第九処 浄華院 清浄華院
第十処 三宝寺 三条大宮西入る 三宝寺
第十一処 悟真寺 四条大宮西入る 悟真寺
※ 昭和26年(1951)、現在地へ移転
第十二処 月輪寺 仏光寺大宮西入る 月輪寺
第十三処 誓願寺 誓願寺
第十四処 円福寺 円福寺
※ 明治16年(1883)、新京極通蛸薬師から現在地へ移転[2]
第十五処 西林寺 蛸薬師辻子 西林寺
※ 昭和44年(1969)、現在地へ移転
第十六処 了蓮寺 寺町錦上る 了蓮寺
※ 明治34年(1901)、現在地へ移転
第十七処 浄教寺 寺町四条下がる 浄教寺
第十八処 聖光寺 寺町綾小路下がる 聖光寺
第十九処 法然寺 法然寺
※ 昭和39年(1964)、寺町通仏光寺から現在地へ移転
第廿処 長講堂 下寺町 長講堂
第廿一処 袋中庵 五条坂 袋中庵
※ 昭和49年(1974)、左京区八瀬野瀬町へ、平成11年(1999)、現在地へ移転
第廿二処 正林寺 正林寺
第廿三処 瀧山寺 清水寺 阿弥陀堂[3]
第廿四処 霊山寺 「正法寺塔頭 霊山寺[4]」廃寺
※ 明治
第廿五処 青龍寺 八坂 青龍寺
[1]円光大師とは法然(源空)上人のことで、円光大師の他に東漸大師・慧成大師・弘覚大師・慈教大師・明照大師・和順大師・法爾大師の大師号が贈られています。
[2]元治元年(1864)の京都の大火災や土地没収による境内の大幅縮小がきっかけで、明治16年(1883)に三河国額田郡岩津村(現・愛知県岡崎市)の妙心寺と寺号を交換し、本尊を含むほとんどのものが移転されました。 現在、元・円福寺の場所には妙心寺があります。
[3]都名所図会(巻之三)」の音羽山清水寺の項に以下の記述があります。 「阿弥陀堂は瀧山寺(りうさんじ)と號す 本尊は阿弥陀佛の坐像を安置す」
[4]荒廃していた霊山寺を国阿上人が再興した際に正法寺と改名し、霊山寺の名は正法寺の塔頭として伝えられました。 「拾遺都名所図会(巻之二)」の中に以下の記述があります。 「霊山寺 霊山国阿堂の南にあり」