七福神信仰は室町時代に京都で最初におこり、それが次第に日本各地へ拡がっていきました。 江戸時代には現在のような宝船に乗った七柱の福の神(大黒天、弁財天、毘沙門天、福禄寿、恵比須神、寿老人、布袋尊)の原型ができましたが、七柱の神は固定されたものではなく、お多福、吉祥天、達磨、宇賀神(男弁天)などが入れ替わったり、追加されて八福神になったりします。

 現在、日本各地に300近くの七福神巡りがあるといわれており、なかでも東京都には30近くの七福神巡りがあります。 江戸時代から継続しているものもありますが、多くは次の3つの時期に創設または復興されています。(表5)

  1. 昭和初期: 東京市が合併で拡大して「大東京」と呼ばれ、経済的に発展を遂げた時代
  2. 昭和50年代: 高度成長が終わり、人々が精神的な豊かさを求め始めた時代
  3. 平成10〜20年代: 御朱印やパワースポットがブームとなり霊場巡りが盛んになった時代

 こうした時代背景のもと、観音霊場ではなく七福神巡りが創設された理由は何でしょう? 私は次のように考えていれます。

  1. 創設の容易さ
    • 神社と寺院の組合せが自由で、神社だけでも寺院だけも構成可能
    • 神の組合せが自由(基本の七柱に拘らなくてもよい)
    • 7社寺以下でも構成可能(1社寺が複数の神を祀っていてもOK)
  2. 運営の容易さ
    • 1月の1ヶ月間を基本として、期間限定イベントとして盛り上げやすい
  3. 巡拝の容易さ
    • 観音霊場などに比べて寺社数が少なく比較的短距離なため、短時間で巡拝できる
    • それぞれの神のご利益が明確なため、巡拝の動機になりやすい

 皆さんの地元にも七福神巡りがあると思います。 お正月にはぜひお出かけください。

表5 東京都内の七福神巡り
名称地域創設年、他
谷中七福神台東区・荒川区・北区宝暦年間(1751-1764)
元祖山手七福神港区・目黒区蟠龍寺に安永4年(1775)の札所標石、昭和初期再開
隅田川七福神隅田川東岸文政7年(1818)、明治41年(1908)復興、旧名:向島七福神
亀戸七福神江東区明治42年(1909)頃、戦後中断し昭和53年(1978)復興
深川七福神江東区明治末期、戦後中断し昭和45年(1970)復活
石勝山の手七福神港区・渋谷区大正13年(1924)〜戦中、現在休止、
石材店「石勝」による震災復興記念、別名:青山七福神
東海七福神品川区昭和7年(1932)、品川の東京市編入記念
浅草名所(などころ)七福神台東区・荒川区昭和8年(1933)、戦後中断し昭和52年(1977)復興
柴又七福神葛飾区昭和8年(1933)
港七福神港区昭和8年(1933)〜昭和15年(1940)[麻布稲荷七福神]、
昭和41年(1966)再興
板橋七福神板橋区・練馬区昭和12年(1937)頃
新宿山ノ手七福神新宿区大正年間(1912-26)?、昭和9年(1934)?
江戸川ライン七福神葛飾区戦後〜??、現在休止
日本橋七福神中央区日本橋昭和30年(1955)頃、昭和51年(1976)再開
銀座七福神中央区銀座昭和43年(1968)〜平成11年(1999)、現在休止
下谷七福神台東区昭和52年(1977)
多摩青梅七福神青梅市昭和55年(1980)
池上七福神大田区昭和56年(1981)
八王子七福神八王子市昭和56年(1981)
調布七福神調布市昭和61年(1986)、昭和60年(1985)調布七福神会結成
千寿七福神足立区千住平成4年(1992)、平成20年(2008)構成寺社変更
小石川七福神文京区平成7年(1995)
日野七福神日野市平成11年(1999)
伊興(いこう)七福神足立区(平成17年(2005)以前)
東久留米七福神東久留米市平成17年(2005)
武蔵野吉祥七福神武蔵野市・三鷹市平成19年(2007)
原町田七福神町田市平成21年(2009)、町田市制施行50周年記念
武蔵五日市七福神あきる野市平成22年(2010)
雑司が谷七福神豊島区・文京区平成23年(2011)、平成22年(2010)七福神会結成
新春下町七福神荒川区・台東区平成25年(2013)、通称:荒川七福神
多摩川七福神大田区平成26年(2014)
荏原七福神品川区??
伊豆大島七福神大島町??

更新日:2016/01/25