昭和40年代以降、全国で霊場の再興と新霊場の開設が相次ぎ、京都でも多くの霊場めぐりが再興・創設されました。

 新旧霊場の整備とともに霊場めぐりが静かなブームになっていましたが、最近では「御朱印」集めが若い女性の間でブームとなり、集印のためのガイドブックが発行されたり、かわいい朱印帳を扱う朱印帳専門のネットショップが登場したりしています。

 多くの方が霊場に参拝し、霊場が若い女性で賑わうことは嬉しい限りです。

表 近年再興・創設された京都の寺院めぐり
再興・創設年名称備考
昭和49年(1974)法然上人二十五霊場浄土宗開宗800年を記念して再興
昭和49年(1974)京のみ仏阪急電車が企画
昭和53年(1978)京都洛西観音「西の岡三十三所」の再興
昭和56年(1981)京都十三佛創設
昭和61年(1986)洛陽十二支妙見復活
平成元年(1989)京都六大黒天創設
平成17年(2005)洛陽三十三所観音百数十年ぶりに再興
平成24年(2012)京都三弘法半世紀ぶりに復活
平成24年(2012)京都十二薬師約80年ぶりに再興
平成24年(2012)大覚大僧正ゆかり第六百五十遠忌の報恩で企画
令和2年(2020)京都時宗道場創設

 一方、こうした霊場めぐりや集印のブームにもかかわらず、復興の願いむなしく復興を果たしていない霊場もあります。 そのひとつが「洛陽四十八願地蔵めぐり」です。

 江戸時代の中期、霊元法皇は霊験あらたかな洛中の四十八ヶ所の地蔵を巡礼し、自らご詠歌を作られました。 そして公卿の一人が宝山と名を変えて念仏の行者となり、ご詠歌と霊場の道しるべを記して、長らく法皇の代参を務めました。 これが「洛陽四十八願地蔵めぐり」の始まりです。

 天明8年(1788)の火災、いわゆる天明の大火では多くの霊場が類焼し、地蔵めぐりは廃絶の危機に瀕しましたが、宝山の手引書が遺されていたおかげで寛政2年(1790)に復活しました。

 こうして一度は復活を遂げた「洛陽四十八願地蔵めぐり」でしたが、元治元年(1864)の禁門の変による関係寺院の類焼や、明治元年(1868)の神仏分離令の影響などによって、自然に途絶えてしまいました。

 大正4年(1915)、関係者の手によって地蔵めぐりの再々興が企てられましたが、残念ながら当時は世間の関心が薄く、地蔵めぐりの再興は叶いませんでした。 霊場めぐりや集印がブームの今こそ、「洛陽四十八願地蔵めぐり」の再興を願ってやみません。

 ⇒ NPO法人『都草』HP 京のお地蔵さんめぐりマップ❐

更新日:2020/11/20