南山城古寺
第六番
ふ だ らく さん かい じゅう せん じ
補陀洛山 海住山寺
真言宗智山派
本尊 十一面観音
住 所
電 話
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備 考

 『みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ』の百人一首の歌で知られる瓶原(みかのはら)を一望におさめる地に、海住山寺が創建されたのは、恭仁京造営にさきだつ六年前、天平七年(七三五)のことと伝えられております。 大盧遮那仏造立を発願あそばされた聖武天皇が、その工事の平安を祈るため、良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、十一面観音菩薩を奉安して、藤尾山観音寺と名づけたのに始まるとのことです。 しかし、この寺は、保延三年(一一三七)に灰燼の厄に遭い、寺観のことごとくを失ったのであります。

 その後、七十余年を経た承元二年(一二〇八)十一月、笠置寺におられた解脱上人貞慶が思うところあってこの観音寺の廃址に移り住み、海住山寺と名づけ、旧寺を中興されて、ここに現在の寺基が定められたのでありました。 観音様の浄土は南海の洋上にある補陀洛山であります。 浄土とは、生ある限りいかなる人も対決しなければならない人間苦・人生苦を解決した真実の楽しみの世界を意味し、この世界に至る道が、いわゆる菩薩道(自他ともに真実の智慧にめざめ、生きとし生けるものをいつくしむ慈悲を行ずる道)にほかなりません。 解脱上人は、この山をこうした菩薩道実践の場所とさだめて、観音の浄土にちなんで海住山寺と名づけられたのでありました。 瓶原の平野と、その彼方に連なる山なみは、あたかも南海の洋上に浮かぶ補陀洛山のごとくであり、とりわけうす曇りの日に山上から眺める光景はその感を深くして、いみじくも海住山寺と名づけたものかとさえ思われます。

出所:『海住山寺』パンフレット

≪楼門≫
 海住山寺へは大変急な「いろは坂」を上らなければなりません。やっと着いたと思ったのもつかの間、寺の入り口はこの楼門からまだもう少し先でした。
≪本堂≫
 見過ごしがちですが、本堂前にある「岩風呂」にもご注目ください。
≪五重塔≫
 海住山寺といえばやはり国宝のこの五重塔。 初層の裳階に頭がつかえそうなほど小さな総高17.7m(東寺の塔の約1/3)の塔ですが、その姿は安定感があり小ささを感じさせません。

更新日:2018/01/03