諸国一の宮(全国一の宮) http://ichinomiya-junpai.jp/

江戸時代前期、橘三喜という神道家が23年の歳月を費やして全国の一の宮を参拝し、『一の宮巡詣記』全13巻を著しました。 これを契機に一の宮参拝が広まったそうです。

平成3年10月8日に全国一の宮会が発足。 平成10年11月23日に全国一の宮御朱印帳ができたのを機に一の宮巡拝者が増えて、一の宮巡拝会が結成されました。

なお、最初は「全国一の宮」と称されていましたが、現在は「諸国一の宮」に改称されています。 一の宮が全都道府県にあるわけではないので、全国という表現が相応しくないと判断されたのかもしれません。

一の宮とは

「一の宮」は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて逐次整った一種の社格です。 朝廷や国司が特に指定したものでなく、諸国において由緒の深い神社、信仰の篤い神社が勢力を有するに至って、おのずから神社の序列が生じ、その最上位にあるものが「一の宮」とされ、以下二の宮・三の宮・四の宮と順位がつけられたのです。 しかし、時代の変遷とともに変化もあったようで、一国内に二社以上の「一の宮」が存在するのはそのためです。

なお、「一の宮」の称は一国についてだけでなく、一郡・一郷の、また一社内神殿での一の宮・二宮などという称も行われました。 江戸時代前期の神道家・橘三喜は、延宝3年(1675)から元禄10年(1697)にかけ、23年の歳月を費やして諸国一の宮諸社寺に参拝し、『一の宮巡詣記』全13巻を著しました。 これを契機に庶民の間にも一の宮参拝の風が広まり、多くの人々が巡拝しました。 「全国一の宮会」は、これら古い由緒と地域の柱となっている「一の宮」の古社が手を携え、御神徳の発揚を目的として平成3年10月8日に発足し、平成10年11月23日、全国一の宮御朱印帳ができたのを機に一の宮巡拝者が増えて、自然に一の宮巡拝会が結成されました。 現在、神社は自然保護や環境問題に対する意識の高まりとともに、日本人の精神の故郷、文化の源流として改めて脚光をあびております。

「一の宮」に該当する神社の選定につきましては、神社本庁調査部で作成した『全国一の宮表』(昭和36年1月23日付)、宮地直一『神祇史体系』、『大日本一宮記』(「群書類従」神祇部所収)、岡田正利『一の宮巡拝記抜粋』を基とし、歴史的に一の宮を名乗ったとみられる神社を網羅しました。 神社名称につきましては『全国神社名鑑』の記載に準拠いたしました。

なお、一の宮巡拝は全国の旅になります。 北海道、沖縄などの由緒ある神社を「新一宮」として併記しました。 巡拝のとき、諸国の延喜式内社をはじめ、由緒ある社寺も参拝されますことをお勧めいたします。

一の宮巡拝会

所在地一覧(出所:「全国一の宮 御朱印帳」)

諸国一の宮を完拝すると、「諸国一の宮巡拝成就の証」と記念御守カードが頒布されます。 それでは、皆さんのご健闘をお祈り申し上げます。

更新日:2025/12/03