神仏霊場 和歌山9番 |
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新義真言宗 |
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正式には一乗山大伝法院根来寺といい、平安時代後期に覚鑁上人(興教大師)によって開かれた。
覚鑁は『五輪九字秘密釈』を著わして末法の世を導いた高僧で、1134年(長承1)高野山に根来寺の草創寺院である大伝法院を開き、真言教学を修学する伝法会を復興して真言宗を中興した。
しかし壇上の旧勢力との軋轢も生じたため、晩年には大伝法院の支援者であった鳥羽上皇から下賜された荘園(現在の根来寺)へ下山し、その地で1143年(康治2)亡くなった。
大伝法院は覚鑁の死後も約百年間、高野山上に存続したが、鎌倉時代に中興の頼瑜が寺籍を現在地に移し、このころから根来寺とよばれるようになった。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋