神仏霊場
奈良3番
こう ふく じ
興福寺

法相宗
本 尊
住 所
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備 考16番

 669年(天智8)、病を得た藤原鎌足かまたりのために、夫人のかがみの女王おおきみが京都山科やましなの私邸に建てた山階寺やましなでらは、672年(天武1)ころには飛鳥あすか厩坂うまやさかに移転し、厩坂寺と称した。 その寺を710年(和銅3)の遷都にともない、鎌足の子である藤原不比等ふびとが平城京東端の現在地に移し、新たに堂宇を造営。 藤原氏の氏寺うじでらとし、興福寺と名乗った。
 堂塔の建立には、不比等の孫にあたる聖武しょうむ天皇、その皇后で不比等の娘の光明こうみょう皇后も携わり、中・東・西と3つの金堂を備える豪華な伽藍がらんが、8世紀半ばに完成をみる。 阿修羅あしゅら像で知られる八部衆像は、光明皇后が母たちばなの三千代みちよ冥福めいふくを祈るため、734年(天平6)に建立した西金堂の安置されていた像。 今では八部衆像と十大弟子像だけが、興福寺に残る天平てんぴょう仏である。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋