神仏霊場 奈良4番 |
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高野山真言宗 |
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平城京の15町の寺域に壮麗な伽藍を備え、「南の大寺」ともよばれた官寺が、大安寺である。
そのはじまりは、聖徳太子が平群額田部に創建した、熊凝精舎に遡る。
寺伝は、精舎は639年(舒明11)に飛鳥の百済川畔に移されて百済大寺となり、673年(天武2)に高市に移転して高市大寺と改称、677年(天武6)に大官大寺と改めたと記している。
百済大寺は、舒明天皇(593〜641)によって、百済大宮とともに飛鳥に造営されたという、九重塔がそびえる大寺院だった。
正確な所在地はわかっていないが、桜井市の吉備池から発掘された巨大な寺院跡(吉備池廃寺)が、有力視されている。
寺は皇極天皇に引き継がれ、その子天武天皇が高市に移した。
その後の改称も、さらに移転したことによる、という説がある。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋