神仏霊場 奈良10番 |
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真言律宗 |
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764年(天平宝字8)、称徳天皇は国家鎮護と戦勝祈願のため、金銅四天王像の造立を発願した。
西大寺は、その像を安置するために創建された官大寺である。
西の大寺の名にふさわしく、平城京の最北部にあって31町(約31万平方メートル)という広大な寺域を誇っていた。
伽藍は、薬師金堂と弥勒金堂の二金堂を中心に据え、その南側に二基の塔、東西に十一面堂院と四王院が建つという壮麗なものだった。
都が平安京に移されると、南都の寺の多くは衰退していくが、西大寺も例外ではなかった。
846年(承和13)の火災で金堂が焼失したのを皮切りに、たび重なる火災が追い打ちをかけ、往時の姿は見る影もなくなってしまったという。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋