神仏霊場 奈良13番 |
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聖徳宗 |
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6世紀半ばにもたらされた仏教にいち早く着目し、大陸から仏教文化を積極的に摂取し、経典を学び造寺造仏活動を行なったのが、聖徳太子である。 太子が創始した法隆寺は、父の用明天皇が病気平癒を願って建立を誓願したが、実現せずに崩御(587年)、のちに推古天皇と太子が用明天皇の遺願を継いで建立したといわれる(金堂に安置されている薬師如来坐像には、「推古天皇と太子が607年(推古15)に像を造った」という内容の銘文が刻まれている)。 法隆寺の別名である斑鳩寺は、606年の『日本書紀』にすでに登場するなど、創立年代と経緯については諸説がある。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋