神仏霊場
奈良15番
りょう せん じ
霊山寺

霊山寺真言宗
本 尊
住 所
電 話
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備 考28番

 矢田やた丘陵を背にした富雄とみおは、『記紀』には登美や鳥見と記される里。 ここに、壬申じんしんの乱に加担したことで右大臣を退いた小野おのの富人とみひとが、閑居して薬師やくし如来にょらいまつったことにはじまるという古刹こさつである。
 富人は薬草湯屋ゆやを造り、人々の病を治していたことから、鼻高びこう仙人とよばれていた。 その仙人が聖武しょうむ天皇の夢枕に現われ、「皇女(のちの孝謙こうけん天皇)の病は登美山とみさんの薬師如来に祈念すれば治る」と告げた。 天皇が行基ぎょうきに代参させると、病が平癒。 そこで734年(天平6)、行基に命じて伽藍がらんを建立させたという。 736年(天平8)にはインド僧の菩提ぼだい遷那せんなが、インドの霊鷲山りょうじゅせんに地相が似ていることから、霊山寺と名づけたという。 寺域からは奈良時代のかわらが出土し、8世紀の創建を裏づけている。 山号は鼻高山。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋