神仏霊場
奈良22番
は せ でら
長谷寺

真言宗豊山派
本 尊
住 所
電 話
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備 考35番、写真

 三方を山に囲まれ、西だけが開けた初瀬はせの地に伽藍がらんは営まれている。 この地のことを『記紀』や『万葉集』は、山に囲まれた地形の意で、「こもりく」(隠国、隠口)と表現している。 山号は豊山ぶざん神楽院かぐらいん
 創建は、飛鳥あすか川原寺かわはらでら道明どうみょう天武てんむ天皇のために「銅板法華ほっけ説相図」(国宝)を造立し、現在の五重塔近くに安置したことにはじまるという。 これが686年(朱鳥1)のことで、本長谷寺もとはせでらとよばれる。 舞台を備えたかけ造りの本堂には、本尊の十一面じゅういちめん観音かんのん立像りゅうぞう(重文)がまつられている。 七度の火災を経て1538年(天文7年)に再興された、右手に錫杖しゃくじょうを取る、像高10メートルを超える巨大な木彫像である。 最初の造像は、奈良時代にさかのぼる。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋