神仏霊場 奈良24番 |
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標高619メートルの多武峯山頂に鎮座する談山神社は、藤原鎌足を祀る神社だが、明治初期に神仏分離の政策が行なわれるまでは、鎌足の墓所として創建された寺院だった。
鎌足が死去したのは、669年(天智8)。
その遺体は次男の藤原不比等により摂津の阿威山に埋蔵されたが、長男の定慧が唐から帰国したのち、弟の不比等と相談のうえ遺骨を多武峯に改葬。
678年(天武7)に十三重塔を築き、堂宇を建てて妙楽寺と号した。
さらに701年(大宝1)には聖霊院といういわゆる御影堂を建て、鎌足の木造を安置した、と縁起は記している。
談山神社は、この聖霊院が発展したもの。
談山の名は、ここで鎌足と中大兄皇子が蘇我氏討伐のクーデター、大化の改新を相談したという裏手の談山に由来する。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋