神仏霊場 奈良27番 |
|
|
平安時代中期に編纂された『延喜式』神名には、丹生川上神社も名を連ねていた。
それほどの格式の高い神社が、応仁・文明の乱(1467〜77)以降はしだいに衰退し、ついには所在地さえわからなくなってしまった。
そんな数奇な運命をたどった丹生川上神社は、現在は吉野川流域の上社、高見川流域の中社、丹生川流域の下社に比定されている。
これは、明治から大正時代にかけての何度かの考証を経て定められたもので、格式や所在地を示すものではなく、三社でひとつの神社としていたが戦後になって分離独立し、今に至っている。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋