神仏霊場 大阪1番 |
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大阪市内の大社寺のなかでも、とりわけ懐かしさを感じさせる境内をもつ。
神々のおわす神域に敬虔な思いを抱き続けた、日本人の心に訴えるものがあるように思える。
古来の姿でたたずむ4つの本殿。
千歳に達する楠をはじめとする巨樹。
600余基の石灯籠。
丹塗りの太鼓橋。
出入り口は多いが、表参道から参詣すると、当社のシンボル「反橋」を通る。
その東詰め南側に作家川端康成が、幼いころの思い出を書いた「反橋は上るよりも、おりる方がこはいものです。私は母に抱かれておりました」を刻んだ石碑が立つ。
一方、東詰め北側には島津家の祖、忠久の誕生地があり、安産祈願に訪れる人が多い。
忠久の母は源頼朝の愛妃で、正妻北条政子の嫉妬を恐れてこの地まで逃れ、夜間に石にすがり出産したと伝わる。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋