神仏霊場 大阪2番 |
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和宗 |
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聖徳太子にゆかりが深く、篤い庶民信仰にも支えられた寺である。
1945年(昭和20)の大阪大空襲で壊滅した伽藍のほとんどを、20年足らずで再建できたのも、復興を願う人々の後押しがあったからだ。
空襲前の伽藍も、1801年(享和1)に落雷で焼失したものを、町人たちが勧進元となって10年余りで再建したものだった。
今では諸堂を含め全域がほぼ昔の姿に戻っている。
創建は593年(推古天皇1)。
廃仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子が戦ったとき、馬子側の太子が四天王像を彫り、「戦勝したら、四天王を安置する寺院を建立する」と祈願したのがきっかけと、『日本書紀』は記す。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋