神仏霊場
大阪2番
し てん のう じ
四天王寺

和宗
本 尊
住 所
電 話
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備 考45番、写真

 聖徳太子にゆかりが深く、あつい庶民信仰にも支えられた寺である。 1945年(昭和20)の大阪大空襲で壊滅した伽藍がらんのほとんどを、20年足らずで再建できたのも、復興を願う人々の後押しがあったからだ。 空襲前の伽藍も、1801年(享和1)に落雷で焼失したものを、町人たちが勧進元となって10年余りで再建したものだった。 今では諸堂を含め全域がほぼ昔の姿に戻っている。
 創建は593年(推古天皇1)。 廃仏派の物部もののべの守屋もりやと崇仏派の蘇我そがの馬子うまこが戦ったとき、馬子側の太子が四天王像を彫り、「戦勝したら、四天王を安置する寺院を建立する」と祈願したのがきっかけと、『日本書紀』は記す。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋