神仏霊場 大阪3番 |
|
|
祭神の北畠親房(1293〜1354)は、南北朝時代の貴族・武将で、後醍醐天皇と後村上天皇に仕え、『神皇正統記』などを著わして南朝の正当性を主張し、南朝を支えた人物である。
一方の北畠顕家(1318〜38)は、親房の長子であり、わずか13歳にして朝廷の庶務を担う官吏の一員、左中弁に任命される。
建武の新政がはじまると16歳で陸奥守となり、父親房とともに奥州に向かい、現在の宮城県多賀城市に国府を置いて陸奥将軍府の政務を執り行ない、若くして数々の功績をあげた。
阿部野神社は、顕家が北朝方と戦った古戦場跡のほど近いところに1882年(明治15)に創建され、別格官幣社に列せられ1887年(明治20)に鎮座祭を行なった。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋