神仏霊場
大阪14番
こん ごう じ
金剛寺

真言宗御室派
本 尊
住 所
電 話
URL
備 考57番

 天野山あまのさん金剛寺は、近代では「南朝ゆかりの寺」として知られたが、古くから「女人にょにん高野こうや」でもあった。 西に河南かなん平野が開け、東に葛城かつらぎ金剛山系を望む河内かわち和泉いずみの境界の丘陵地にある。
 天野山バス停で下車、道路わきの山門をくぐると、左手に朱塗りの楼門がある。 国の重文に指定された鎌倉時代の建物だ。 低いながらも、東からも西からも山が迫った谷間地形のなかに、平安時代の多宝塔、金堂、御影みえい堂、鎌倉時代の食堂じきどう、南北朝時代の鐘楼などが並ぶ(いずれも重文)。
 寺伝によると、聖武しょうむ天皇の勅願に基き、天平てんぴょう年間(729〜749)に行基ぎょうきが開創し、のちに弘法こうぼう大師密教練行れんぎょうの霊地となる。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋