神仏霊場 大阪14番 |
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真言宗御室派 |
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天野山金剛寺は、近代では「南朝ゆかりの寺」として知られたが、古くから「女人高野」でもあった。
西に河南平野が開け、東に葛城金剛山系を望む河内と和泉の境界の丘陵地にある。
天野山バス停で下車、道路わきの山門をくぐると、左手に朱塗りの楼門がある。
国の重文に指定された鎌倉時代の建物だ。
低いながらも、東からも西からも山が迫った谷間地形のなかに、平安時代の多宝塔、金堂、御影堂、鎌倉時代の食堂、南北朝時代の鐘楼などが並ぶ(いずれも重文)。
寺伝によると、聖武天皇の勅願に基き、天平年間(729〜749)に行基が開創し、のちに弘法大師密教練行の霊地となる。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋