神仏霊場 大阪18番 |
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真言宗御室派 |
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古くから「藤井寺」とも記されており、その縁で境内のフジの木には目を見張るものがある。
平日でも参詣客は跡を絶たない。
寺伝によると、そのはじまりは渡来系氏族の葛井氏の氏寺で、7世紀中葉に創建された(発掘瓦の調査による)。
725年(神亀2)聖武天皇の勅願で、本尊千手観音(国宝)の造像がなされた。
渡来人の春日仏師親子の作。
千手観音の開眼法要には、行基が導師を務め、聖武天皇自らが臨席した盛大なものだったと伝わる。
金堂、講堂、東西両塔を備えた大規模な七堂伽藍が2キロ四方に建立されていたらしい。
東塔跡付近には、今も巨大な礎石が残るほか、出土する瓦と同じものが、平城京の宮域部分からも出土している。
優れた技術者集団が建築に関係したようだ。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋