神仏霊場 大阪20番 |
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JR学研都市線四条畷駅から東へ約15分。
生駒山系北部の飯盛山(318メートル)の北西麓に鎮座する。
山裾に沿って南北に通る旧東高野街道から、石段を百段ほど上ると、左手に銅板葺きの御本殿がある。
その御本殿の前に、菊の紋章のついた木製大鳥居が立つ。
境内に楠の多いのが印象的だ。
祭神の楠(楠木)正行公は、鎌倉時代末から南北朝時代の武将、楠正成の嫡男。
正成公の「大楠公」に対して、「小楠公」とよばれる。
1348年(正平3)、北朝方の高師直・師泰兄弟の8万の大軍相手に、飯盛山西の四條畷市から大東市付近一帯で激しく戦った。
「四條畷の決戦」として知られるこの戦いでは、正行軍はわずか3000人。敗北して退路を断たれ、自刃する。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋