神仏霊場 大阪22番 |
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高野山真言宗 |
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淀川に注ぐ安威川左岸の高台の寺で、阪急京都本線の総持寺駅から、西北に歩いて5分。
戦後間もないころまでは、周囲には水田が広がり、高くそそり立つ山門が遠くからも望めたという。
寺伝によると、
中納言藤原山蔭(824〜888)の父・高房が、継母の命令で淀川に落とされた若君(のちの山蔭)の姿をひと目見たいと、観音にすがったのがきっかけとなった。
すると死んだはずの若君は、たまたま前日助けた亀に乗って帰ってきたのである。
高房はそのときに「尊像を刻んで、伽藍を建てる」と観音に約束したが、実現できないまま亡くなった。
山蔭は亡父の願いを実現したいと奔走、886年(仁和2)堂宇を建て、さらにその子たちが協力して七堂伽藍を建立したと伝わる。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋