神仏霊場
大阪22番
そう じ じ
総持寺

高野山真言宗
本 尊
住 所
電 話
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備 考65番

 よど川に注ぐ安威あい川左岸の高台の寺で、阪急京都本線の総持寺駅から、西北に歩いて5分。 戦後間もないころまでは、周囲には水田が広がり、高くそそり立つ山門が遠くからも望めたという。
 寺伝によると、 中納言ちゅうなごん藤原山蔭やまかげ(824〜888)の父・高房たかふさが、継母の命令で淀川に落とされた若君(のちの山蔭)の姿をひと目見たいと、観音にすがったのがきっかけとなった。 すると死んだはずの若君は、たまたま前日助けたかめに乗って帰ってきたのである。 高房はそのときに「尊像を刻んで、伽藍がらんを建てる」と観音に約束したが、実現できないまま亡くなった。
 山蔭は亡父の願いを実現したいと奔走、886年(仁和2)堂宇を建て、さらにその子たちが協力して七堂伽藍を建立したと伝わる。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋