神仏霊場 京都6番 |
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西山連峰の南の一峰で、歌枕でも知られた小塩山の東麓にある。
『延喜式』神名では式外社であるが、本朝十六社、ならびに二十二社に列せられて高い格調をもつ。
社伝によれば、784年(延暦3)、長岡京遷都にあたって藤原氏出身の桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が、氏神の春日社への参詣が容易でなくなり、この地に春日明神を勧請したのが当社の起源である。
平安遷都後の850年(嘉祥3)、左大臣藤原冬嗣が社殿を造営して、地名をとって大原野神社とした。
のち皇太后藤原順子が行啓、円融天皇の行幸とともに摂関家をはじめとする尊崇が高まり、繁栄をみた。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋