神仏霊場
京都9番
だい かく じ
大覚寺

真言宗大覚寺派
本 尊
住 所
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備 考91番、写真

 旧嵯峨さが御所大覚寺門跡もんぜきは、嵯峨天皇の造営した離宮「嵯峨院」が前身。 嵯峨天皇は淳和じゅんな天皇に譲位後、嵯峨院を仙洞せんとう(上皇の御所)とし、崩御までそこに暮らした。 その後、皇女の正子せいし内親王(淳和天皇大后)の願いにより、876年(貞観18)、清和天皇から、仙洞嵯峨院を大覚寺と号する定額寺じょうがくじに改めることが勅許された。 その上奏文は、大覚寺の俗別当になる菅原道真みちざねの起草によるもの。 淳和天皇の皇子の恒寂ごうじゃく入道親王(仁明にんみょう天皇皇太子の恒貞つねさだ親王)を開山かいさんとした。
 始祖である嵯峨天皇は、弘法大師空海に高野山こうやさんや東寺を賜るなど、真言宗立宗開教の絶大な外護者げごしゃであり、818年(弘仁9)の大旱害だいかんがい時には、空海の勧めにより『般若心経はんにゃしんぎょう』の書写を行なった。 その『心経』は現在も大覚寺に奉安されている。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋