神仏霊場 京都9番 |
|
真言宗大覚寺派 |
|
旧嵯峨御所大覚寺門跡は、嵯峨天皇の造営した離宮「嵯峨院」が前身。
嵯峨天皇は淳和天皇に譲位後、嵯峨院を仙洞(上皇の御所)とし、崩御までそこに暮らした。
その後、皇女の正子内親王(淳和天皇大后)の願いにより、876年(貞観18)、清和天皇から、仙洞嵯峨院を大覚寺と号する定額寺に改めることが勅許された。
その上奏文は、大覚寺の俗別当になる菅原道真の起草によるもの。
淳和天皇の皇子の恒寂入道親王(仁明天皇皇太子の恒貞親王)を開山とした。
始祖である嵯峨天皇は、弘法大師空海に高野山や東寺を賜るなど、真言宗立宗開教の絶大な外護者であり、818年(弘仁9)の大旱害時には、空海の勧めにより『般若心経』の書写を行なった。
その『心経』は現在も大覚寺に奉安されている。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋