神仏霊場 京都16番 |
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平安京造営にあたって、南北の中心軸・朱雀大路の北の基点とされた船岡山。
清少納言が『枕草子』に「岡は船岡」と、ことあげしてよく知られるが、今宮神社はこの岡の北にある。
東南には臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺がある。
船岡山では、平安時代から疫病が流行るたびに、御霊会が行なわれた。
994年(正暦5)には神輿を造って御霊会を行ない、あとで神輿を難波津に流したことが『日本紀略』にみえる。
1001年(長保3)の疫病流行のおり、船岡山の北に新しく神殿を建立して今宮社と称し、勅使を遣わし東遊、走馬(競馬)を奉納した。
今宮神社の創建である。
以後、都に疫病が流行るたびに朝野をあげて御霊会が行なわれ、ことに民衆の篤い信仰に支えられた。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋