神仏霊場
京都17番
ほう きょう じ
宝鏡寺

臨済宗
本 尊
住 所
電 話
URL
備 考99番

 「人形の寺」の通称名がある宝鏡寺は、京都御所北の東西通、寺之内てらのうち通りの堀川東にある。 「百々とどの御所ごしょ」ともよばれる。 東側に架けられた「百々橋」には、応仁おうにんの乱で西軍の山名やまな宗全そうぜんと東軍の細川勝元かつもとがにらみ合って戦った故事がある。 東に茶道の表千家・不審庵ふしんあんと裏千家・今日庵こんにちあんが隣接する。
 開山は光厳こうごん天皇の皇女華林宮かりんのみや恵厳えごん禅尼であり、応安年間(1368〜75)に御所でまつられていたしょう観世音かんぜおん菩薩ぼさつ像を、五辻いつつじ通大宮にあった景愛寺子院の建福尼寺に奉納安置して、名前を改めて開山したのがはじまり。 この観音像は、伊勢の二見ヶ浦ふたみがうらで漁網にかかったものと伝えられ、ひざの上に小さな「宝鏡」を持っていることから宝鏡寺の寺名ともなる。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋