神仏霊場 京都17番 |
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臨済宗 |
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「人形の寺」の通称名がある宝鏡寺は、京都御所北の東西通、寺之内通りの堀川東にある。
「百々御所」ともよばれる。
東側に架けられた「百々橋」には、応仁の乱で西軍の山名宗全と東軍の細川勝元がにらみ合って戦った故事がある。
東に茶道の表千家・不審庵と裏千家・今日庵が隣接する。
開山は光厳天皇の皇女華林宮恵厳禅尼であり、応安年間(1368〜75)に御所で祀られていた聖観世音菩薩像を、五辻通大宮にあった景愛寺子院の建福尼寺に奉納安置して、名前を改めて開山したのがはじまり。
この観音像は、伊勢の二見ヶ浦で漁網にかかったものと伝えられ、膝の上に小さな「宝鏡」を持っていることから宝鏡寺の寺名ともなる。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋