神仏霊場 京都26番 |
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天台宗 |
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寺伝では、788年(延暦7)、伝教大師最澄が比叡山に根本中道を創建のおり、東塔南谷の梨の大樹の下に一堂を建立したのが起こり。
860年(貞観2)、清和天皇の勅を受け、最澄自刻の薬師如来を本尊として、一念三千院、円融院と称した。
また比叡山麓の東坂本に移って円徳院と称する。
院内にあった加持井(修法に用いる井戸)から、「梶井門跡」の名が起こる。
堀河天皇皇子最雲法親王が住んだのを最初の門跡とし、以来、皇族の住持する寺となり、三門跡のひとつと定められ、さらに五箇室門跡に数えられた。
明治の神仏分離によって、1871年(明治4)に大原に移った。
三千院が大原にあって「三千院」と号するのはこのときからだ。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋