神仏霊場 京都28番 |
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天台宗 |
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修学院山の懐に建つ曼殊院は天台五箇室門跡のひとつで、竹内門跡、竹ノ内御殿の別称がある。
785年(延暦4)、伝教大師最澄が比叡山に国家鎮護の道場として一宇を建てたのがはじまり。
以後、慈覚大師円仁をはじめ代々住持に引き継がれる。
10世紀、是算国師の代に比叡山西塔北谷に移り、「東尾坊」と号した。
曼殊院となったのは、是算国師から8代後に住持になった忠尋大僧正の天仁年間(1108〜10)からであった。
「曼殊」は、梵語の「マンジュ」で、妙楽、愛楽の意味がある。
忠尋が北山近くに別院を開設するが、足利義満が金閣を造営するにあたって、御所の北の相国寺付近に移る。
1656年(明暦2)、第29代門主を継いだ良尚法親王によって現在地に移る。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋