神仏霊場
京都32番
しょう ご いん
聖護院

本山修験宗
本 尊
住 所
電 話
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備 考114番、写真

 寺伝によると、はじめ洛北らくほく岩倉いわくら長谷ながたににあり、常光院じょうこういんと称した。 修験道の祖・えんの小角おづぬを宗祖とし、10代山伏、円珍えんちんて1090年(寛治4)、園城寺おんじょうじの僧・増誉ぞうよ白河しらかわ上皇の熊野詣くまのもうでの先達をし、その功から「聖体護持」の言葉より2字をとって、聖護院が創建された。 この経緯から聖護院は、えんの行者ぎょうじゃを宗祖、円珍を曩祖のうそ、増誉を開祖としている。
 第4世に後白河ごしらかわ天皇の皇子静恵じょうえ法親王ほっしんのうがなってから宮門跡みやもんぜきとなり、聖護院宮・聖護院御所ともよばれた。 応仁おうにんの乱(1467〜77)の兵火を受け、足利8代将軍義政よしまさが再建にあたっている。 義政は、出家に際して聖護院に入っている。 再び焼失し、のち豊臣秀吉が烏丸からすま上立売かみだちうりに移し、1676年(延宝4)に現在地に再建された。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋