神仏霊場 京都32番 |
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本山修験宗 |
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寺伝によると、はじめ洛北・岩倉の長谷にあり、常光院と称した。
修験道の祖・役小角を宗祖とし、10代山伏、円珍を経て1090年(寛治4)、園城寺の僧・増誉が白河上皇の熊野詣の先達をし、その功から「聖体護持」の言葉より2字をとって、聖護院が創建された。
この経緯から聖護院は、役行者を宗祖、円珍を曩祖、増誉を開祖としている。
第4世に後白河天皇の皇子静恵法親王がなってから宮門跡となり、聖護院宮・聖護院御所ともよばれた。
応仁の乱(1467〜77)の兵火を受け、足利8代将軍義政が再建にあたっている。
義政は、出家に際して聖護院に入っている。
再び焼失し、のち豊臣秀吉が烏丸上立売に移し、1676年(延宝4)に現在地に再建された。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋