神仏霊場 京都38番 |
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真言宗智山派 |
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鴨川東岸、松原通と七条通の間の、六波羅(六原)とよばれる地の町家のなかにある。
六波羅は、東山山麓にあって麓原とよばれたとも、六波羅蜜寺の所在からともいわれる。
付近は轆轤町とよばれ、京都の地誌『京都坊目誌』によれば六波羅蜜寺の境内地であった。
寺は、山号を補陀落山と号し、『元亨釈書』によれば、951年(天暦5)、町に疫病が流行したとき、「市の聖」とよばれた遊行僧空也上人が一体の十一面観音像を刻み、これを市中に曳き回して平穏を祈願。
10年余りをかけて金泥『大般若経』600巻の書写をなし、鴨川で供養をなした963年(応和3)、十一面観音像をこの地に安置して西光寺と号したのが創建になる。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋