神仏霊場
京都40番
ち しゃく いん
智積院

真言宗智山派
本 尊
住 所
電 話
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備 考122番、写真

 東山三十六峰の阿弥陀ケ峯あみだがみねを背にし、東大路通に面して総門が開かれ、高い石積みをもった厳格な塀をめぐらす。
 起源は、1130年(大治5)、覚鑁かくばん上人が高野山こうやさん大伝法院だいでんぽういんを建立したことにはじまる。 1288年(弘安11)、学頭頼瑜らいゆ僧正が高野山より紀州根来寺ねごろじに大伝法院と密厳院みつごんいんを移転し、新義真言宗を別立した。 その後、根来寺の学頭眞憲房しんけんぼう長盛ちょうせいが室町時代の初頭(1392〜)に塔頭たっちゅうの智積院を建立する。 1585年(天正13)、豊臣秀吉の根来寺焼き討ちにより炎上。
 秀吉没後、玄宥僧正は徳川家康に再興を願い入れ、東山の阿弥陀ケ峯山麓さんろく豊国とよくに神社の一部と堂宇3区をたまわり、紀州の根来寺にちなんで五百仏山いおぶさん根来寺智積院とし、中興第1世となる。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋