神仏霊場 滋賀12番 |
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三上山(432メートル)は、大津の琵琶湖岸から眺めると、孤峰のごとくそびえ、近江富士の別名がある。
紫式部は「打出て三上の山をながむれば 雪こそなかれふじのあけぼの」と詠んだ。
子どもたちには、瀬田橋まで押し寄せた大百足を退治した俵藤太伝説の「百足山」で親しまれてきた。
「三上社」「三上明神」ともいう。
『古事記』に、「近つ淡海の御上祝がもち斎く天之御影神」と記されている。
社伝によると、孝霊天皇の6年、三上山に天之御影命が降臨し、御上祝が三上山を磐境と定めて祀った。
元正天皇の718年(養老2)、藤原不比等が勅命により現地に社殿を建てさせて奉還し、内外末社を造営したという。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋