瀬田の唐橋は、古代から壬申の乱をはじめ戦乱の舞台となった。
武田信玄は死を前にし、「勢多橋にわが風林火山の旗立てよ」と言い残した。
現在の橋より300メートルほど下流が昔の位置で、織田信長の時代に架け替えられた。
唐橋は天下に通じる橋であり、交通の要衝でもあった。
祭神は、日本武尊のほかに天照座大神と大己貴命。
日本武尊は、景行天皇の43年、東征の帰途、近江伊吹山に入って病にかかり、伊勢能褒野に薨去した。
同46年、神勅によって、御子建部稲依別王は淡海国神崎郡建部郷千種岳に神宮を創建して、尊の神霊を祀り、建部大神と称したと伝えられている。
天武天皇の白鳳4年、建部連安麿は、勅を奉じて同国瀬田郷大野山の峰に遷祀した。
『延喜式』の名神大社に加えられた。
出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋