神仏霊場
滋賀13番
たけ べ たい しゃ
建部大社
主祭神
住 所
電 話
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備 考147番

 瀬田せた唐橋からはしは、古代から壬申じんしんの乱をはじめ戦乱の舞台となった。 武田たけだ信玄しんげんは死を前にし、「勢多橋にわが風林火山の旗立てよ」と言い残した。 現在の橋より300メートルほど下流が昔の位置で、織田信長の時代に架け替えられた。 唐橋は天下に通じる橋であり、交通の要衝でもあった。
 祭神は、日本武やまとたけるのみことのほかに天照座あまてらす大神おおかみ大己貴おおなむちのみこと。 日本武尊は、景行けいこう天皇の43年、東征の帰途、近江おうみ伊吹山いぶきやまに入って病にかかり、伊勢いせ能褒野のぼの薨去こうきょした。 同46年、神勅によって、御子建部たけべ稲依別いなよりわけのみこ淡海おうみ神崎かんざき郡建部ごう千種だけに神宮を創建して、尊の神霊をまつり、建部大神と称したと伝えられている。 天武天皇の白鳳はくほう4年、建部むらじ安麿やすまろは、勅を奉じて同国瀬田郷大野山の峰に遷祀せんしした。 『延喜式えんぎしき』の名神みょうじん大社に加えられた。

出所:『神と仏の道を歩く』から抜粋