祇園祭
山鉾巡行 前祭
はく らく てん やま
白楽天山
ご利益学業成就・招福除災
分 類舁山(かきやま)
所 在下京区室町通綾小路下ル白楽天町
URLhttp://www.hakurakutenyama.jp/
備 考

 唐の詩人、白楽天が道林禅師どうりんぜんしに仏法の大意を問うところをあらわしている。 道林禅師は、緞子どんす地の紫衣しえを着け、藍色あいいろ羅紗らしゃの帽子をかぶり、手に数珠じゅず払子ほっすを持ち、松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣装かりぎぬ[1]に唐冠をかぶりしゃくを持って立っている。

 旧水引みずひきは、明治五年の調製でクジャクは麒麟きりんなどの禽獣きんじゅう金絲きんしいつめた刺繍ししゅう、また前懸まえかけは文化五年(一八〇八)に新調された紺地雲龍うんりゅう文様もんよう刺繍裂ししゅうぎれと、万延元年(一八六〇)蟷螂山とうろうやまより買受けた毛綴けつづれ三点継さんてんつなぎもある。 この毛綴はギリシア神話を題材とした柄で、トロイ城陥落の時、アイネイアスが父を救出する場面を描いた優品であり、大津祭(滋賀県)の月宮殿山げっきゅでんざん見送みおくり双幅そうふくである。 見送はかつて麒麟龍鳳凰文様の綴錦つづれにしきであったが、昭和二十八年より山鹿清華やまがせいか作の北京万寿山図の毛綴錦のものを用いた。 また胴懸どうかけ及び水引として昭和五十三年町内長老がフランスから直接買付けた十七世紀製作の毛綴を用いている。

 旧後懸うしろかけのインド更紗さらさ(十九世紀)や、旧見送の裏面で町住者、露木露珍(石門)が描いた油絵山水図(文化四年)などは、大切に保存されている。

出所:『白楽天山』京都市駒札


[1]ふりがなの位置がずれているように思いますが、駒札の原文のまま記述します。

更新日:2017/09/20