聖跡廿五拝碑 菅公聖跡二十五拝

 探検家で北海道の名付け親として有名な松浦武四郎が、西日本の天満宮25社を選んで聖跡と定め、明治17年(1884)から同20年(1887)にかけてこの25社を参拝しました。 その際に奉納したのが、これらの一連のいしぶみです。

 いしぶみ正面の最上部に「聖跡二十五拝」と番号、中央部に天満宮名と「寳前」が書かれ、これらの左横に揮毫者名が小さく刻まれています。 また左側面には、発起人である松浦武四郎と各地の協賛者の名前が刻まれています。

 聖跡廿五拝に関する詳しい内容は、辻本武氏の論考「松浦武四郎の石碑をたずねて」をご覧ください。

壹番 菅原院天満宮
三番 菅大臣天満宮
四番 吉祥院天満宮
七番 威徳天満宮
八番 土師里天満宮
十四番 綱敷天満宮
碑文 所在地
1
【正面】聖跡廿五拜
第壹番
菅原院天滿宮寳前

【左面】願主 松浦武四郎
世話人 畑 増尾
菅原院天満宮神社
3
【正面】聖跡廿五拜
第三番
菅大臣天滿宮寳前

【左面】發起人東京 松浦武四郎
西京 畑 増尾
菅大臣神社
4
【正面】聖跡廿五拜
第四番
吉祥院天満宮寳前
望月黙[雷]拜書

【左面】發起人 東京 松浦武四郎
資財主[駿州]
 江尻
望月治三郎
吉祥院天満宮
7
【正面】[聖跡廿五拜]
[第七番][1]
威徳天満宮寳前
金峯山寺内 威徳天満宮
8
【正面】聖跡二十五拜
第八番
土師里天満宮寳前
従三位勲三等郷純造書(印)

【左面】發起人 東京 松浦武四郎
道明寺天満宮
14 聖蹟二十五拝第十四番綱敷天満宮堂前[2]発起人東京松浦武四郎[3] 綱敷天満宮
[1]写真の一部に偶然写り込んでいた画像なので小さい文字は読めませんが、他のいしぶみから推測しました。 「威徳天満宮寳前」の左にも小さな文字らしきものが見られます。
[2]案内板の説明文では「堂前」になっていますが、他の碑文を見る限り「寳前(宝前)」の誤りだろうと思われます。
[3]天満宮の北約200mの旧西国街道の一隅にあった碑は、平成7年(1995)1月15日の阪神・淡路大震災で倒壊消失したとのこと。大変残念です。

更新日:2018/09/21