西方四十八願所碑・額 西方四十八願所
十一番 仏眼寺
十二番 聖衆来迎寺
十二番 聖衆来迎寺
十七番 西念寺
十八番 真如堂
廿二番 安養寺
石像寺
二十五番 華台廟
三十二番 超昇寺
碑文・文字 所在地
11
【正面】日本
西方
四十八願所第十一番札所

【左面】南無阿弥陀佛 佛眼[寺]

【背面】安政四[年]丁巳一[月]■■
當山三十三世■■■■
仏眼寺
12
【正面】天台宗紫雲山聖衆來迎寺

【左面】日本西方四十八願所第十二番霊地

【背面】明治三十九年四月建之
聖衆来迎寺
12
日本
西方
第十二番
紫雲山
聖衆
来迎寺
<省略>
17
【正面】日本西方四十八願札所
 第十七番
 久保御堂西念寺
西念寺[1]
18
日本
西方
第十八番京東山真如堂
<省略>
真如堂
22
【正面】女人
往生
さかれんげ阿弥陀如来

【左面】西方四十八願所第廿二番
 安養寺
安養寺
(23)
【正面】釘抜地藏尊弘法大[師]
御■■

【右面】日本四十八願所 ■■
 本尊阿彌陀如來

【左面】<未読>

【背面】文久四[子]歳正月
石像寺
25
【正面】西方二十五番札所

【右面】西山善[慧]上人靈[廟]
■■■■■■

【左面】華臺廟
三鈷寺
32
【正面】日本西方三十
二番
札所 超[昇寺]
奈良市二条町1丁目3-43付近[2]
[1]いしぶみの建つ西念寺は大宮中林町(賀茂川の西)にあり、弥陀霊像西方四十八願所縁起に書かれた上鴨(賀茂川の東)西念寺の久保御堂とは場所が異なります。 明治初年に上鴨西念寺が廃寺となった後、現在地に再興されたと思われますが、詳細は未確認です。
[2]超昇寺は奈良市佐紀町2715付近にありましたが、明治10年(1877)頃に廃寺となりました。 その際、仏像等が奈良市二条町の歓喜寺に移されており、いしぶみも現在の位置に移されたものと思われます。

更新日:2024/08/15